Mar 04,2017
Guest:Kaname Matsubayashi
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T.B)THE DOLLSはどんなブランドになるんですか?
松林)THE DOLLSのコンセプトは、今まで何百年もその伝統工芸、伝統技術を守り続けて来た人達に新しい風として僕がプロデュース、デザインしたものを入れるというのをテーマにしたブランドで、今は「THE DOLLS×織馬鹿」っていうブランド名で播州織(ばんしゅうおり)の職人さん達とコラボレーションをして、播州織の綿100%のストールっていうものを作っています。
T.B)SHOESHINE ORIGINALからまったく色が違うTHE DOLLSのストールを作るきっかけはなんだったんですか?
松林)SHOESHINE ORIGINALをやっていて、どうしてもカジュアルなTシャツをやり続けても、正直あまり広がりがなかった。買ってくれてる方、ファンになってくれてる方はいらっしゃるんですけど、それ以上に広がらなかった。で、尚かつ、THE DOLLSのぼんやりとしたイメージが僕の頭の中にはあって、そのイメージでレディースブランドを立ち上げたいなーって。じゃあ完全にSHOESHINE ORIGINALはメンズブランドで、もう一つ立ち上げるブランドはレディースブランドで、メンズとレディース二つのラインのブランドを立ち上げたいなーってぼんやり思っていた時に、たまたまあるきっかけがあって、播州織(ばんしゅうおり)の職人さん達と出会ったんですよ。その播州織の職人さん達と色んな話をさせて頂いた時に、恥ずかしながら僕も”播州織”っていうのを全然知らなくて、、、だから播州織の事をさらに調べていくと、日本の結構、、、なんていうんですか、今までの洋服だったり物作りを意外に支えてきた、伝統の技術だった。でも話を聞いていくと、意外にももう終わってるんだよね・・・。終わってるというのは、織物の技術がタイ、中国に取られてしまって、メイドインチャイナも凄く世に出てて、途上国と呼ばれるところにどんどん仕事は持って行かれてると。そういう話を聞いた時に、「あっ俺がもう一つ思ってた物とくっつけたら面白い事になるかも知れない」って閃いたのが“THE DOLLS”っていうブランドを立ち上げるきっかけだったんですね。
T.B)播州織って特にどんな物に使われてるんですか?
松林)播州織の基礎知識としては、綿の織物の産地で…綿の織物でも先染めの織物の産地で、先に糸を染めて、織で柄を出すっていうもので。元々は220年くらい前に播州織の地に西陣織の技術を持ち込んだのが始まりなんですよ。で、兵庫県の西脇市に川が流れてて、その川の水を使ってまずは糸を染めるんですが、西脇市に流れてる川の水が その染色に適していたとの事なんです。それから播州織っていうのものが始まってて、先染めの織物=播州織です。古い所だとBURBERRY(バーバリー)とかBrooks Brothers(ブルックスブラザーズ)とかのハイブランドのシャツ地とかを織っていたのが、今から何十年も前の話ですね。
T.B)播州織の職人さんと出会ったのはいつ頃なんですか?
松林)2013年です。2013年の7月に出会って、その話を聞いてちょっと見てみないとわからないというのもあって、会った2週間後に東京から兵庫県西脇市に飛んで、とにかく工場と播州織ってどんな物か見せてくれって言って、見に行って。その時に職人さん達が色んな所に連れてってくれる中に、もう真っ暗で廃業した工場とか凄いあって、どうしたんですか?って聞いたら、「跡取りが居なくてもう続けられずにどんどん辞めていって何百とあった工場も何十レベルに減ってしまってて」っていう話を聞いて、このままにしたら日本のこういった技術が無くなっていっちゃうので「ん~じゃあ何かをやりたい」って。昔、播州織っていうと、“ガチャ万”って言われてる時代があって、機織りのガチャンっていう音が鳴ったら一回一万円って言われてる時代があったんですよ。で、街はガチャンガチャンいってて、それくらい産業が盛り上がった時代があったのが、海外に技術が取られ、上にいる産元商社が仕事を取ってくるんだけど、職人さん達に落ちてくるお金が極わずかで、それでやっぱり生活ができなくて、その人達の息子さん達も現実を見ていて、いやいや跡取りは…って継ぐ人が居ない。そういうのが蔓延した状態で、このままじゃ終わるなーっていう雰囲気の街だったんですよ。
T.B)そこからいつ頃にブランドは立ち上がってたんですか?
松林)11月には立ち上がってました。11月には第一回目の商品は出来上がってました。はじめは僕も播州織の事は知らない、綿100%の織のストールなんてわからないので、まずは「作った物を貸してくれ」と言って、物を見て。物を見たらすごく良いもので「これをまずは売っていく事を考えましょう」と話して、、、彼らが何故ストールに手を出したかというと、縫製の技術を持ってないんですよ。最高級の生地を織る技術は持っていても、そっから先に、生地をシャツにする技術も無ければ、生地をハンカチに縫う事も出来ない。だけどストールって生地だけで複雑な縫製が必要ないから、それで彼らは作り始めてたんですよね。でも売り方がわからない、そのノウハウがわからない。で、作ってるだけ。どうしようか、、、っていう状態で。じゃあ僕が、新しい風を入れながら販売ルートを探して行きましょう。で11月から立ち上がったんですけど、、、まぁ、、、何も知らないんで。売り方もわからないし、、、でもいい物だし、どうにか世の中に広げないとっていって、思い立ったように、あっそうだ展示会に出してみようって。で2月にある合同展示会のRoomsに出したんですよ。でも訳もわからない状態で、こんな状態の僕だから凄く助けてくれる人がいっぱい居て。SHOESHINE ORIGINALでプリントをやってくれた、プリント業者の仲間が助けてやるよって、色んな事を助けてくれたんです。ブースのデザインからなにから、、、SHOESHINE ORIGINALでは基本的に自分たちで作って自分たちで売ってたんでOEMって何?ロット?はっ?みたいな(笑)そういう所を通ってない訳ですよ。(笑)なんのこと言ってるか意味が分からないってなって。じゃあ勉強しようって。Rooms応募してから色んな事勉強したんです。色んな事聞かれるから、全部答えられるようにした方がいいって言われて、全部教えてもらったんです(笑)で、みんな本当に色んな人達に助けられてRoomsやってみたんですけど、まぁRoomsで感触ゼロで(笑)はっ?!みたいな。こんな高いお金出したのに、ん?って。だけどよくよく考えたら、、、正直展示会に出すことばかり考えていて、まだまだ播州織の事ほとんどわかってなくて。これは出す意味ないなって、一回そこで立ち止まってみて。実際これを僕がやり続ける事が正解なのか不正解なのか一回考えて、本気でやるんだったら、一から播州織を勉強しなくちゃダメだって。Rooms出してそういう事を感じたから、もう一回播州織の事勉強しようと思って、西脇市に大体一ヶ月に一回くらい、東京の仕事の合間を見て行ってたんですよ。織を見てみたり、糸を触ってみたり、染める事をやらせてもらったり。工場も色々と見せてもらって。そこでもっと奥が深さを感じて、、、だから「綿の風合い良いでしょ?」みたいな一言でまとめられるようなものではない!っていうのがわかって。で、そこから、、、もう少し違うアプローチ無いかなって、、、真っ向勝負でやってても難しいなって。ハイブランドもいっぱいあるし、世の中もファストファッションがあって、安くて良いものが出始めた時に、、、名も無いブランドが手を挙げたって誰も見てくれない。良いものを作ったって何も意味はない。じゃあどういうプロモーションをしようって。どういうプロモーションがいいか、、、日本の人達の特徴がアメリカで流行りました~誰々に認められました~って言ったら、音楽にしてもファッションにしても食いつきがいい。あっ、、、NYへ行こう(笑)海外に持って行こう。イメージを海外にしようって。
T.B)要は逆輸入ですね?
松林)そうです。それを思ったもう一個のきっかけが、このストールもそうなんですけど、、、Roomsで唯一今でも本当によかったなっていう出会いが、MAAYA WAKASUGIっていう日本テレビの笑神様は突然に•••ていう番組のタイトルロゴを描いてる書道家さんが、縁あってうちのブースを見に来てくれて、うちのストールを見て一枚欲しいと。で、差し上げますって提供したんですね。で、「今度はコラボレーションをしましょうよ」っていう話になって。面白いなって。織りで柄を出すから、どんなものでも織りで柄で出せるんじゃねーかなーってふわって思って。じゃあその人が描いた書の作品をストールにしたら面白いんじゃないかな?って、点と点をくっつけただけなんですけど。その人に問いかけたら、僕の作品でこれだったら提供しますよって言ってくれて、コラボレーションしましょう。って言ってもらったんですよ。それで、その作品が馬の行進っていう作品で、播州織の職人達に持ちかけたら「面白いね」って乗って来て、THE DOLLSで「馬の行進」というストールが完成したんですけど。これも売り方わからねーしどうしようかなーみたいな感じで(笑)たまたまMAAYA WAKASUGIがNYに今居ると!おぉいいタイミングだ!そうだ…NYへ行こうと(笑)で行ったんですよ。
T.B)すごいですね(笑)じゃあ追うようにすぐに向かったんですか?
松林)彼は日本で書道家としてやってたんですけど、芸術の都パリに行く前にNYでなんらかをやりたい、NYで色んな事学びたい。私はこれくらいの期間NYに居ると、、、話を聞きつけたので、そっか、、、そのタイミングで行けば面白いことになるな。なんかやれるなって。ストールをバックに詰め込んでNYに飛んで、MAAYA WAKASUGIに会って、NYで何する?ってなって。じゃあセントラルパークでストール並べて、書を描こうかって思いついて。NYのセントラルパークで無地の大きなストールを広げて、ストリートパフォーマンスをやったらブワーって人が集まって。で面白い面白いっていって写真を取ってバンバンアップしてたんですね。じゃあせっかく来たし、一番有名なSOHO行く!?みたいな。そうだ、、、SOHOへ行こうみたいな(笑)
T.B)その「そうだ、、、」、シリーズ化してきましたね(笑)
松林)で、SOHO行くってなったときにストールをいっぱい持ってて、SOHOなんていっぱいブティックあるし、ブランドもあるしどこに入っていいかわからなくて、飛び込みで入ったんですよ。でも全然当たりも悪くて、、、(笑)そりゃそうですよ、、、37度くらい超える猛暑にハットにランニングを着た日本人がストール抱えて、SOHOうろうろしてるんですよ(笑)意味が分からないですよね。そんなのがブティック入って来てストール見てくれって言ったって誰が見るんだよって話じゃないですか(笑)そこで、SHOESHINE ORIGINALのフォトTの時に話した、TOKIO KUNIYOSHIが出てくるんですけど、、、MAAYA WAKASUGIにビジネス英語が喋れる現地の人間を通訳代わりに一人ピックアップしてくれない?ってお願いしてたんですよ。それでMAAYA WAKASUGIが連れてきてくれたのが、偶然にもTOKIO KUNIYOSHIだったんですよ(笑)それでTOKIO KUNIYOSHIが「じゃあSOHOだったら俺の知り合いがブティックやってるからそこにまず行こうよ」って連れて行ってくれて。そこが、SOHOの中でも老舗で有名な『IF SOHO NEW YORK』っていうお店で、そこで色々話しをさせていただいて、本当に良いものだから、ちょっと日本帰ってちゃんと資料作って送って来てよって。日本帰って資料全部作って、で日本から資料送って色々やり取りして、アドバイスをもらったりして。で、、、そんな事をやってたんですけど、結局それでも全くもってどうしようもないわけですよ。じゃあ次何やろうかなって思った時、Roomsで三越のバイヤーさんの名刺をもらってて、そうだメールを送ってみようと思って(笑)NYでの出来事とか色々もう一回改めて資料を作って送ったら、一回会いましょうってなって。で、会いに行って、その時に播州織の事を全部話したんですよ。衰退している事も全部。それに凄くバイヤーさんが面白いとなって、こんなアプローチで播州織のストールを持って来た人間は今まで見た事がない。しかも織で柄を出してクオリティが高いの見た事がないと。三越でやりましょう。って言っていただいて、日本橋三越本店1階の婦人雑貨のメインの所でやれる事が決まったんですよ。だから僕の場合は思いつきと、点と点を結んで行くだけで、あら?合っていった、合っていったって感じで。なんか直感。未だにその直感は疑わずにやってみるっていうのがテーマで。ダメだったらやめればいいし。デザインも捨てたデザインもいっぱいありますし。作ってみないとわからないですし。飛び込みでなんでも怖がらずにやってみる。他の人からすると、「そんなテキトーなブランドやりやがって」って思われるかも知れないですけど、フットワーク軽いのって武器だし、あとは発想。アパレル業界にずっと居る方達、、、一部の人は除いて、、、アパレルとは?!っていう堅い考えがあると思うんですよ。売り方はこうで、こういうセオリーで、プロセスは踏んで百貨店さん行って、、、そんなの誰が作った道なのかわからないじゃんっていう。そこを通るくらいだったら、自分の道で、、、
T.B)飛び級制度あるでしょ?みたいな。
松林)そうなんですよ。あとは行けるっしょ。え!?ダメだったら辞めるっしょ!?みたいな(笑)本当にそんな感覚です。あぁ~ごめんなさいごめんなさい、、、みたいないっぱいありますし。(笑)でもそこ怖がってても仕方ないし、やるからにはやっぱり何か変えたいし。世の中変えたいし、何かこっちから提示をしていかないと、、、じゃあハイブランドがやってる様にブランド立ち上げて、ちょっと儲かったらショップ立ち上げて、で展開して20店舗になったら20店舗分の大量生産して、、、っていうレールがあるじゃないですか。それはちょっと僕の中では違うなっていうのがあって。だからそこはずっとこだわってるところはあります。うちの商品自体は1点物から多くても7~8点しかひとつの作品で織ってないんですよ。一切それ以上作らないのが僕たちのポリシーで。SHOESHINE ORIGINALにしても、在庫を抱えない受注生産。無駄を作りたくない。一回刷っちゃったら、もう売れないとゴミになっちゃうんですよ。そんな無駄を作っててどうするんだ、廃棄にするものを作ってどうするんだっていうのがあって。ストールにしても残糸、廃棄しなくていけない糸を使う事が一個テーマなので、「捨てるんだったら使おうよ、捨てるんだったら作らない、売れる分だけ作ればいい。余計な物は作らない」というのは一貫して僕の中で言える事ですね。
T.B)人を助けたいっていうのが根底にあって、それが原動力なんですね。
松林)そうでですね。あとは、日本の良い物を、、、これを売るために百貨店立ってるんですけど、凄く悪い言い方をすると、イタリア製フランス製って書いてあるだけで良い物になってるものが多くて、最近メイドインジャパンっていうのが見直されて、、、日本製っていうものにちょっと意識がみなさん変わってるんですけど、まだまだやっぱり、おフランスな物は売れるし、メイドインUSAのものはちょっと違う所で見てるじゃないですか。でもメイドインジャパンて書いてるもの自体も「それ本当にメイドインジャパン?100%じゃないかもしれないよ?」って、僕たちは結構言ってて。物作りの中で、全部ではないですけど中にはタグを日本で付けてれば、最後の縫製だけ日本でやっていれば、メイドインジャパンと表示して良いってなってて。「それでもメイドインジャパンって思って買ってない?逆にメイドインフランスもそうかもしれないよ?」って。物の本質、ちゃんと見極めたほうがいいよっていうのはあって。これを作るためには、こういう歴史があって、こういう人達が携わってて。だからSHOESHINE ORIGINALにしても一枚一枚手刷りにしてるのは、本当に刷る事に魂を注いでる職人に刷ってもらう。その一枚の重みはどんなものか、、、着たらわかるからって。
T.B)メイドインジャパンっていう表記の裏側って事ですね。
松林)そう。それをやって行く事で、アパレル産業は変わるだろうし、メイドインジャパンがいいねって言ってくれるだろうし、僕たちみたいな弱小のブランドでもやっぱりそういうのを言い続ける事で今一番大切だと思うし。そうやる事で、寄付をしなくても東日本の人達に仕事が回ったりとか。今失業率が高い中で雇用機会が増えたりとか。日本の産業が発展する事によって日本が潤う。そうすれば、ハッピーにもなるし。で、アメリカとか海外の人が日本をもっと注目するから、またお金が落ちてくる。っていうのが根本にあります。
T.B)THE DOLLSは今後の展開はどうしていくんですか?
松林)THE DOLLSは次のコラボレーションが決まってて、播州織は勿論やっていくんですが、THE DOLLSは七変化のように色んな事をやって行くブランドでもあるので、次は倉敷の倉敷帆布を使った僕がデザインをするトートバックを作って。で、それもちょっと違う視点からトートバックを作って。倉敷帆布は世界基準で世界から注目されてるけど、じゃあ倉敷の人が潤ってるか?っていったら多分そうじゃないと思うんですよ。そんなの世の中に山ほどあって、第二弾はエピソード2って僕たちは呼んでるんですけど、倉敷帆布のトートバック。トートバックの生地は倉敷で、縫製は関東でバックの作家さんにやってもらって。さらに色んな所にお金を落としたいなって思ったので、それにプリントを加えたちょっと発想を変えたトートバッグを作る。それがエピソード2。THE DOLLSって得体が知れないね。ってそれでいいと思ってるんで。THE DOLLSが色んな所で色んな人達と関係を持って来て、関東を中心に点になっていって、広がったら、気づいたら円になってるっていうのが一番僕が思い描いてる事で。だから北海道から沖縄まで職人さんが居れば、アパレルに限らず色んな事をやって行きたいと思ってますし、色んな人と繋がっていって、僕がデザインを好きだったり、仕掛けをする事や、プロデュースをするのが好きだったり。まぁこの発想も、メディアをやってる時にラジオを聞いてもらうためにどうしたらいいんだ、、、この企画を面白くするにはどういう演者を連れて来て、どこにそういう音楽を挟めば面白くなるっていう考え方とほとんど変わらないので、この播州織が世界から脚光を浴びる為には次はどういう物をもってきたらいいんだっていうパズルですよね。どういう組み合わせで行く。これが僕のテーマでSHOESHINE ORIGINALにしても一緒です。今後色んなクリエイターとかアーティストとコラボレーションしていって、彼らの力を借りながら、うちのフィールドに投げかけていって、水の輪の様にバーッと広がって行けばいいかなって。だからこれがしたい、あれがしたいっていうのはなくて、その時々で変化していきます。
T.B)何がしたいというよりも、今ここにあるもので何が出来るか?っていうのが大事なんですね。
松林)そうです。だから、僕たちはストールは作れって言われても作れない。だから僕はずっと常に題材を探してます。カバンを作れる人居ないかな?とか、面白い事やってる人居ないか?って。で、見つけたらすぐに声をかける。倉敷の帆布も120年くらい続いてる織物屋さんをみつけて面白いって思って、直接アポイント。あなたの生地を使いたい、会いにいくからって。そこからなんで。
T.B)素材に惚れ込む、、、ですか。
松林)そうなんですよ。でもそこを知らないと良いものはできないなって。
―「そうだ・・・」から始まるストーリーがどんどん未来へ繋がっていく。出会う人達によってどんどん運命を切り開く。まるでラジオドラマを聞いてるかのように僕は引き込まれていった。メディアからファッションというフィルターの中に落とし込まれた、色々な人達への感謝と温もり。それを大切に繋いで行く作業がメイドインジャパンの明日に繋がる・・・。
『THE DOLLS』
HP:http://www.thedollsjapan.com/
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