COLLECTION

MasiRlou(マザルー)

MasiRlou

不自由ありきの自由を謳歌する大人たちへ

Guest:ミスターマザルー

TOKYO BASE 以下T.B)今日は宜しくお願いします。

MasiRlou ミスターマザルー 以下 マザルー)恥ずかしいので、覆面の画像と合成してください(笑)

T.B)わかりました(笑)今日は初めてのアルコールを飲みながらですね・・・

マザルー)いや、、、こういうの初めてなんでお酒を、、、(笑)

T.B)それではファッションに触れたきっかけを教えてください。

マザルー)最初のきっかけは、小学生の頃の地元のジーパン屋ですね、、、当時Mens non-noの記事だったかな、、、中3か高1の時に白黒のページが雑誌の中にあって結構カルチャー推しの記事が載ってたんですけど、そこでSeX Pistols(セックスピストルズ)の記事を見て「なんだこれは!」って衝撃を受けて即行CD屋に行ってAnarchy in the U.K(アナーキーインザユーケー)買って音楽はまり、、、そこからですね。ぐいぐいもってかれたのは、、

T.B)じゃあ、最初はパンクロックの格好をしていたんですか?

マザルー)そうです。で、学校の友達と“伝説”のパンクバンド ○○○○○○を、、、自分で伝説っていう(笑)

――少し顔を見合わせ笑う二人

マザルー)まぁ高校生活の3年間くらいパンクバンドをやってて、主にセックスピストルズのコピーを。そして高3のときLondon Nite(ロンドンナイト)に行って第2の衝撃が来たんですけど、俺の知ってるパンクロックって本当に視野狭ぇなっていうか…つまんねぇな…これ凄ぇなって。初めて行った時の衝撃なんて今でもバァーって蘇ってくるんですけど、、、まぁ超洒落ですよ。居る人全員。超キラキラしてて。流れてる音楽も初めて聴く音楽ばっかりで、すげぇ超パンクなファッションしてる人も凄ぇダンスしてて、それもかっこ良く見えて。それも初めて行ったのが、高3の修学旅行の帰り道なんですよ。みんな地元の先輩には危ねぇから行かない方がいいよ!って言われてて、、、いやぁ~行きてぇ~なって勇気を振り絞って当時の一張羅のミルクの紐網のモヘアを着て行ったんですけど、帰りは、、、“にしきのあ●ら”みたいにビラビラになって糸とか伸びっぱなしで。

T.B)両手広げて揺らしている光景が浮かびます(笑)

MasiRlou(マザルー)

マザルー)そうそう。ただそれ以上に刺激的で、、、(笑)その時初めて大貫憲章さんを知ったんですよね。DJヒカルさんの事は知ってたんですよ。WARP MAGAZINEとか色んな媒体を通じて。それでいつ来るのかな、いつ来るのかなって。一人で行ってたので、常連さんとか人がいっぱい居てその波に紛れて踊って、凄ぇ汗だくになって喉乾いたーっていって飲み物買って、、、その繰り返しで。そうしたら変なおっさんが、君一人で来たの?今度友達いっぱい連れて来てよ~ってカセットテープくれたんですよ。で、なんだこのおっさんは(笑)って、、、その人が大貫憲章さんだったっていう、、、(笑)その頃、UNDERCOVER(アンダーカバー)のジョニオさんとかもちょいちょい来てた時期だったんですよ。僕は直接絡みはないですけど。で、そこで知り合った常連の先輩とかを通じて、Search And Destroy(サーチアンドデストロイ)っていう、ロンドンナイトのDrイハラさん達が立ち上げたドパンクのイベントをLAUGHIN’NOSE(ラフィン•ノーズ)のPONさんが主催となって続けてたんですけど、そこに呼ばれて20歳で上京して、最初の東京2、3年は会社に勤めつつ週末は新宿WIREみたいな。平日も知り合いのイベントがあるとそこに行ってて、二日酔いというか、、、CLUB活動の為の仕事みたいな。やっぱり田舎には無い刺激的な出会いだったりとか、あまり触れられない見た事ないファッションだったりとか。

T.B)その当時はどんなファッションされてたんですか?

マザルー)その時は、どっちかっていうとパンク+スケーターみたいなのが好きで。言ってみれば、UKとUSをMIXさせたというか。凄いしっくりきてたんですね。なんでかって言うとUSのメロコアでバンドで言うとRancid(ランシド)とかあーいう所の影響が大きかったんですよね。あと、僕の中で影響されたのが、ロンドンナイトでお世話になったエイジ君って言う人がいるんですけど、めっちゃかっこ良くて。ランシドのヴォーカルのティムって居るんですけど、もうそのまま。ちょっとティムを背低くしたみたいな。モヒカンとかも超かっこ良くて。出会ってしばらくした時に雑誌のCUTiEにも出たんですよ。あれ昔は文化服装の子とかロンドンナイトに来てる子が結構スナップされてて。1ページどーんってエイジ君出てて。まぁ要はSEDITIONARIES(セディショナリーズ)第3期くらいの時だったんですね。セッズも超似合うし。ただ着るだけではなくて、ちゃんと着崩してるというか、自分の物にしてる。自然な、、、昔からそういうスタイルの人なんだなっていうような。自然体というかやっぱり好きな人は好きな物が体に染み込むじゃないですか。だから好きなスタイルのアイテムに負けてない。そしてオーラだったりあると思うんですよね。そこがやっぱりエイジ君に感化されましたね。あとオクレ君(笑)

T.B)セディショナリーズを着てたのは何歳くらいからですか?

マザルー)セッズを買い始めたのが17歳-18歳くらいの時。東京に買い出し、、、当時通販なんかで売ってないですから(笑)原宿のA STORE ROBOT(アストアロボット)に行って気合を入れて買ったりしてたんですけど。田舎に居るとその時にしか買えないから一発勝負じゃないですか(笑)

T.B)確かにそれは気合はいりますね(笑)

マザルー)そうそう(笑)やっぱり一番買ってたのは高校生の時ですかね。バイト代全部ぶっ込んでみたいな(笑)18歳くらいまでは、GOODENOUGH(グッドイナフ)とかアンダーカバーとかLET IT RIDE(レットイットライド)とか買ってましたね。だから、高校時代同じカルチャー、同じ音楽が好きでワイワイやってた奴らは今でも付き合いあるし、みんなこっちに居る。東京でなにかしらしてる感じ、、、もうそれは一生の友達だから。やっぱり同じ服が好きで、同じカルチャーが好きで、同じ音楽が好きで、で毎日学校で顔を合わせる。なんやかんや一番一生の友達ですね。 話がそれてきた 笑

MasiRlou(マザルー)

――通路に乱雑に置かれたテーブルに少しガタつく長椅子とガスストーブ。ビールを飲みながらまるで地元の先輩の昔話を聞くように、笑いながら夢中になって聞いていた。

店内に流れる昭和歌謡曲が居心地がよくて少しその時代にタイムスリップをしてしまったような感覚になった。

僕はミスターマザルーに立ち上げの経緯を聞いてみた・・・

Photographer:

  • Facebookでシェア