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POSTERIZE

恩返しの意味もあるけど自分の存在を示すものでもあるんだ。

Guest:MARTIN-KINOO

T.B)それからマックダディーに入ったのは何がきっかけだったんですか?

キヌ)僕も東京の家引き払って行ったんで、地元静岡からイベントの度に通ってたんですよ。で、こっち来るたびに日下部さんの事務所に遊び行ったりとかしてて、そしたら日下部さんが「うちで働けば?」って。でも僕ファッションって売り子しかしてないし何もできねぇよ?って。いいよ、イベントとかもやるしーそういうのやればいいじゃんって、だから最初は結構音的な要員で入ったんですよ。イベント班みたいな感じで。

T.B)部門ですね。音楽部門のようなものですか?

キヌ)イベント部門みたいな感じで(笑)ほんとだからやる事なくて。やっぱりみんな、それぞれ企画や営業とかしてたんで、見よう見真似でMACとか始めて、、、それで入って半年後くらいだったのかな、、、日下部さんに「キヌもなんかちょっとデザインしてみれば?」って感じで言われて。そこからがファッションを本格的にスタートみたいな。

T.B)じゃあそこからデザインは独学ですか?

キヌ)完璧独学ですね。ただ、マックダディーに入る前の自分が辿ってきたルーツの影響力は強かったですね。いままで色んな文化に触れて、何が好きだった、これが好きだったって日下部さんとディスカッションして、、、「じゃあこういうのやってみたら?」っていう感じで。だから最初僕、シャツがすごく好きでシャツのデザインをやらせてもらって。あとはパーカーとか。あんまり見かけないようなやつとかを作ってみれば?みたいな感じで作らせてもらってましたね。

T.B)そうなんですね。その、キヌさんが辿ったルーツの中で影響力が強かったものはなんですか?

キヌ)10代の頃はスケボーのPOWELL(パウエル)チームが一番元気がよかった時期なんで、スケートブームで、スケートファッション系から入って、バンドもパンクバンドやってたんでパンクの格好して。90年91年くらいにRANKIN TAXI(ランキンタクシー)が沼津に来たんですよ。お客さん10人居たか居ないかくらいだったんですけど、、、その時にみんなセットアップでいわゆるラガマフィンスタイルで登場して、「うわーすげー、この人達かっこいいー」って思って。

T.B)その当時では、そのスタイルが珍しかったんですか?

キヌ)元々イギリスカルチャーが好きだったんで、パンクの延長線でイギリスカルチャーを雑誌とかで結構掘ってたから、THE CLASH(ザクラッシュ)がレゲエ好きだったり知識だけは持ってたんだけど、「全然この人達は違う!スーツとかじゃないし、なんなのこの格好!」みたいになって。

T.B)そこからファッションの観点が変わってきたんですね。

キヌ)考えてみたらRun-DMC(ランディーエムシー)とかパンクスっぽいんだけどHIPHOPだったり。そういうミックスが自分の中でグッときましたね。ジャージなんだけど上はライダースみたいな。なぜか、ちゃんとポークパイハット被ってるとか。そういったことが自分の中で引っかかって、段々そういうファッションが好きになって。

T.B)じゃあ、その当時はミックスを意識した格好をしてたんですか?

キヌ)そうですね。HIPHOPっぽいテイストの感じの格好をしつつもパンクみたいな。だから、レゲエのクルーの人達がやってるイベントでも、いわゆる“レゲエ”な格好をしてなかったグループだったんでちょっと浮いてたんですよ、当時から。ジャマイカっていうよりはアメリカっぽい空気を感じさせるようなファッションでずっときてたんですよ。そういった色んな文化やファッションを経てマックダディーでデザインしてました。

T.B)じゃあかなり自由にやらせてもらってたんですね?

キヌ)そうですね。日下部さんの所ではありがたい話で…言ったら、一番バブってたんで(笑)何をやっても怖くないみたいな(笑)全てが…

T.B)2000年前後はストリートファッションは強かったですよね。恵比寿から原宿にかけてのブランドは…(笑)

キヌ)本当凄かったんですよね…ヒドかったですからね(笑)で、マックダディーの中でアパレルの事を学んで行くんですけど…。彼は普段はおもろいにーさんなんですけど、やっぱり洋服に関してはプロフェッショナルでリスペクトしてました。シャツ一つ作るにしても、襟周りの作り方だったりとか、、、こういう風にしないとシャツが綺麗に着れないとか。リュック作るにしても、ここの強度が無ければ、ぶっ壊れるから“すぐ壊れるようなブランド”だって思われるのはよくない。こういう所を研究して物を作れって、細かいノウハウを学んでいったんですよね。デザインに関しても基本シンプルじゃないと、洋服っていうのは長く愛されないからシンプルベースで何が出来るか?っていうのを考える。シンプルをベースに色使いだったりとか、どういう風に切り返すかとか、そういう事をもっともっと追求して行け!と。本当叩き込まれて。

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T.B)マックダディーには何年いらっしゃったんですか?

キヌ)10年ですね。2010年まで在籍してました。

T.B)2010年にマックダディー辞めてすぐにPOSTERIZEを立ち上げたんですか?

キヌ)1年ちょっとブランクをあけて、資金作りをだったりとか色々とやって2011年スタートしたんです。

T.B)マックダディーの頃からPOSTERIZEの構想はあったんですか?

キヌ)最初はなかったですね。でも色んな方々と繋がりができたんで、取引先さんなんかも。マックダディー入って3年目からメインデザイナーになったんで、僕がほぼほほマックダディーの洋服作ってたんですね。僕、周りから“キヌ”って呼ばれてるんですけど、卸し先さんからもキヌ君のデザインの洋服をもう一回見てみたいっていう声を頂いたりして。色々そういう話しをしてくれる所が多かったんで・・・。2010年の10月くらいに、、、じゃあやろうかなと思って立ち上げたんですよね。

T.B)POSTERIZEはどんなコンセプトなんですか?

キヌ)コンセプトは僕が一番好きだった、スポーツっていう文化を洋服に落とし込むとしたら、どういう風にそれにできるか?っていうのが根底にあって・・・。アメリカに行ったり来たりしてる頃に、NYで出会った先輩が居て。その人が僕のスポーツの師匠みたいな人なんですよ。毎晩チャットでなんか…今日のヤンキース最悪だよ!!みたいな事をやったりする先輩がいたんですよ(笑)その人はDJ HIRO n.y.cっていう人なんですけど。HECTIC(ヘクティク)とかMASTERPIECE(マスターピース)MADFOOT(マッドフッド)あの辺のネーミングを考えて命名した人なんですよ。で、その先輩に「周りから声が多いからTシャツくらいからでもやろうと思うんだよね…にーちゃんちょっと名前考えてよ!」って言ったら、「全然やる!なんなら口出ししたいってな」って、、、で、付けてもらったのが“POSTERIZE”なんですよ。

T.B)そうだったんですね、、、“POSERIZE“ってどんな意味なんですか?

キヌ)POSTERIZEっていう名前の由来がバスケットの解説者の用語なんですよ。例えば、マイケルジョーダンが居たとしたら、、、ゴール下でマイケルジョーダン越しに相手の選手がダンクを決めたら大体それが写真に残るんですよね。決めた方はジョーダンを超えてアピールできる一枚の写真になるし、決められたジョーダンは若手だったりとか、言ったら自分より背の低い奴にダンクを決められたっていう侮辱じゃないですけど、、、そんな感じの物になるんですよ。そういう裏の意味を持った名前で。得点を決めた方からしたらドラマティック、決められた方からしてみれば凄いマイナスイメージじゃないですか。解説者はその時、「This is POSTERIZING!!」みたいな事を言うんですよ。だから「お前もいつかは今までお世話になってきたブランドに対してダンクを決めれるくらいの者になれ」って事で付けてくれたんですよ。だからプリントものとかはPOSTERIZINGされるような場面のフォトTとかを、、、めっちゃブートですけど(笑)やってたんですよね。

T.B)“GIANT KILLING“みたいなニュアンスですね。背景というかブランド名の由来がめちゃくちゃ面白いです。

キヌ)ブランド名をつける時、すごい色んなワードが出て来たんですけど、、、それが一番僕の中でグッと来て。いつかは恩返しの意味もあるけど、ちゃんと俺はやってるぜ!っていうのを見せていかないとって言うのもあったので「それで行きます!」って。で、ネーミングしてもらった後に「POSTERIZINGをされているような名場面集にフォーカスして作って行ったらいいんじゃない?」って。それが一番最初でスタートしていった感じですね。そこから一番物作りでしたかったシャツとデニムを自分の中ではPOSTERIZEではメインでやりたいなって。シャツとデニムだけは作り続けてる、、、POSTERIZEの顔になるのはその二つなんですよ。

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T.B)デニムは全てメイドインジャパンなんですか?

キヌ)メイドインジャパンで岡山デニムですね。パターンも信頼するパターンナーが一人いて、その人と何十本ひいたかわからないくらいパターンひいて、、、作り上げて。生地も岡山に行ったんですけど、某デニムブランドが大戦モデルで作ってた縦落ちがすごく綺麗なデニムが80年代にそのブランドで復刻されてたんだけど、凄い綺麗なブルーで縦落ちが綺麗な生地があるんですよ。その生地問屋を知ってる人が現れて、その人と生地問屋に行ったんですよ。それで話をさせてもらったんですけど「いやぁ~あの生地だけは作りたくない」って言われて「なんでですか?」って聞いたら、昔のデニムって生地が緩いんで、お店に出しておくだけでサイズ感がバラバラになっちゃって。生地は生き物なんで湿気を含んだら伸びちゃって乾燥したら縮んじゃったりとか、それが多過ぎて当時そのデニムブランドが卸し先さんから返品食らっちゃったらしいんですよ(笑)で、どうしてくれるんだ!って生地屋の方に話が来ちゃったらしくて(笑)その生地問屋の主人も、「いやいや、、、その当時の織り方で織ってるんだから仕方がないものだ。っていうか御宅(某デニムブランド)ならわかるでしょ?」ってなったぽく(笑)そしたらそのデニムブランド側も「それはわかる、わかるけど動き過ぎだ!ワンサイズ違うのもザラにある!」ってなって(笑)結構大きい話になっちゃったみたいなんですよ(笑)だから生地屋さんも「あの生地だけは見たくない!」ってなって、、、(笑)でもそんなこと言いながら生地屋のおっちゃんが「ちょっと待ってて」って奥の方から生地スワッチを持って来て「これだよ」って見せてきて。「あぁ、、、これです、、、、、、作りません?」って言って(笑)そしたら、、、「えぇ!?」って(笑)

T.B)この話を聞いても尚作りたいのか?と(笑)

キヌ)そうです(笑)だから「いやぁ、、、僕、おじちゃんには返品しません、いくら卸し先から返品食らっても自分で腹括ります」って言って(笑)そしたら「まじかぁ、、、」って(笑)で、2反だけ作ってくれたんですよ、最初。その2反を買わせてもらって、縫製工場に持って行って縫ってもらった時、工場の人に「キヌさんあの生地マジ動きます。凄い縫いづらいです」って(笑)そういうやり取りがあって出来たんですけど(笑)リリースする時はほとんど生デニムで、少し加工したのも出したんですけどね。この肉厚でこの堅さだと大体重いんですけど、この生地だと軽いんですよ。パターンナーにも、日本人の体型に合う、ヒップ周りを綺麗にしたり、足の長さを綺麗に見せるようなパターンを作り上げてもらって。

T.B)生地の伸縮があるデニムだったら、体に馴染みやすい感じですよね?

キヌ)そうなんですよ。その代わりお店でちゃんとこのデニムの特性を謳って売っていただければお客さんも凄い納得して履いてもらえるデニムなんですよ。

T.B)同じインチでも自分に合う合わないがあるからちゃんと試着をして探せば自分にバッチリ合う一本になるっていう。

キヌ)そうなんです、本当に生き物なんです。だからネットなんかでは売れないんだ!っていう(笑)

T.B)生地のちゃんと説明を受けた上で試着して買って欲しいっていう。

キヌ)そうです(笑)

T.B)実際に手に取ってお店で悩んで欲しいアイテムなんですね。

キヌ)お店で色々教わりながら、着方だったりスタイリングにしてもちゃんとアプローチしてくれるお店がほとんどないですからね。「お前のその着方かっこ悪いよ」みたいなこと言うような店が増えたらいいなって、、、普通に僕らの時代言われてたし。そういのはこれからまた求められるようになればファッション面白くなってくると思うんですよね。だって本当に洋服って凄い大人の買い物になっちゃってるじゃないですか。ファストファッションが悪いとは思わないですけど、子供のなんか、、、買い物になっちゃってるから、、、いやそうじゃなくて、同じような奴を何本も買うんじゃなくて「一本を育てようよ」って。

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T.B)シャツもどういうこだわりがあるんですか?

キヌ)シャツは切り返しをしてる奴とかを出してるんですが、日下部マインドじゃないですけど、シンプルなんだけどどこかでギミックを入れた感じのをずっと作ってて。

T.B)このシャツのポケットは葉巻入れ・・・

キヌ)そうです。勝利者の葉巻を一本入れられるように・・・。みんなペン入れっていうんですけど、違う葉巻だって(笑)

T.B)やっぱりプロダクトの中にスポーツは勿論なんですけど、ストリート黄金期の遊び心を感じますね。

キヌ)胸ポケット使うぅ??みたいな(笑)入れなくねぇ?みたいな(笑)

T.B)今後はどういった展開をしていこうって考えてるんですか?

キヌ)ちょっとお休みしていたので、2016年のS/Sからデリバリーを始められればって動いてますね。シャツやデニムをベースにしていこうって。ただ、それをいかにちゃんと気に入って取っていただけるお店を探さないといけない部分はあるんですけど、、、なんだろうな、、、いわゆる洋服屋さんセレクトショップに置いていただいて、この温もりのままお客さんに渡るような物作りをしていきたいなっていうのがあるんですよね。ネットショップはプリント物を出していって、ギミックの利いたシャツとかデニムとかはこだわったお店とかに落とし込んでいけるようにしようかなって。

T.B)洋服の温度感を伝えていくということなんですね。今日は本当に楽しかったです(笑)音楽も、洋服も、スポーツも満載でした。ありがとうございました。

——僕はMARTIN-KINOOさんが触れて来たカルチャーを楽しく笑顔で話している姿が眩しくて仕方がなかった・・・。過去と今を繋げるカルチャーを大事に継承していく。当時のイズム、マインドを進化させ自分なりに発信する。MARTIN-KINOOさんのライフスタイルは僕に取ってはPOSTERIZING!!!!だった・・・。

『POSTERIZE』
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–DJ HIRO nyc,R.I.P

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