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chojimurata

村田ちょうじ

良いものは良いと本質を見極めることが出来るか

Guest:Cho-g Murata

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–都内某所。高層ビルが近くに立ち並び、その一角の閑静な住宅街にあるオフィス。インターホンを鳴らし招き入れられると木目を基調とした家具や床。そして部屋の奥にあるターンテーブル。ゆったりと自由を感じるオフィスの雰囲気に、心地よい緊張感を肌で感じながら、僕はインタビューを始めた・・・。

TOKYO BASE 以下T.B)最初に村田さんが触れて来たカルチャーを教えてください。

GENRE BNDR. 村田 以下 村田)中学校一年の時に、先輩から借りたZOOの番組を見て、バックでDJ KEN-BO君がDJやってるのを見て「超かっこいい、ヤッバこれ!」って思って、、、まぁ高校入って、ターンテーブルを買って、色々やってたんですけど。まぁろくに勉強もせず、、、親に大学行けって言われて、高校の先生に推薦で入れる大学聞いたら、九州の熊本に一校だけあるって言われて。地元が北海道だから「熊本行くんだったら、こりゃ留学だな」って(笑)じゃあアメリカ行っちゃおうって感じでアメリカのカリフォルニアに。

T.B)高校卒業してすぐですか?

村田)日本の高校を卒業してすぐにテキサス州ダラスにある高校に特別編入して、その後かな。

T.B)卒業時期に編入できるんですか?

村田)向こうは5月で期末になるんだけど、終わりごろに特別に編入して、、、特別編入する為に、そこの学校がキリスト教の学校なんだけど、自分はキリスト教徒じゃないんですけどね。

T.B)そんなことあるんですね!?

村田)そうそう。で、編入したのは良いんだけど全く英語しゃべれないから、カフェテリアで注文も出来ず、そこの生徒の連中がどうやってランチを購入しているのか観察して、3日過ぎて初めてランチが食べれて(笑)

T.B)その状態で現地の生徒と馴染めること出来たんですか?

村田)体育でバスケの授業があったときに黒人を抜いてゴール決めたら一目置いてくれて、そこから仲良くなったかな。

T.B)じゃあそこから楽しいハイスクールライフが始まったんですね。

村田)いや、、、キリスト教の学校だったから毎日教会に通わされてたんですけど、それが本当に嫌で、、、(笑)というかキリスト教徒じゃないしね。(笑)だから1ヵ月後に川崎の工場に就職してた地元の友達のとこに親に内緒で転がり込んで、2ヶ月くらい川崎でコンビニのバイトしてましたね。(笑)

T.B)勝手に帰ってきちゃったんですか!?

村田)そうそう。で、親にバレて北海道に呼び戻されて・・・(笑)。親父に「お前何がしたいんだ!?」って(笑)。そうなるわなって思いながらも「やっぱアメリカ行きたい」って言って。そしたら親父が「たぶんこのままアメリカに行ってもまた戻ってくるから、お前はとにかく遊びたいんだろ?じゃあ毎日遊べと。契約としては、家に住まわしてやる+バイトしろ。遊ぶ分は稼げ、ただ毎日遊べ」と、、、、、、ラッキー!!って思うじゃないですか?、、、けど毎日遊ぶって辛いんですよ(笑)一年後に留学するまで一年間遊びなさいと。本当に毎日なんですよ(笑)365日(笑)

T.B)365日毎日ですか?(笑)

村田)だから親も考えたなーと思って。すんごい辛いんですよ。仕事が沢山あるわけじゃないから、日雇い行って土方の手伝いして、帰って来て19時くらいに家で飯食って、もうクタクタなんですよ(笑)で、ソファで寝てたら親父に「遊びに行ってこい!」って。マジかぁ~、、、って(笑)じゃあ行って来まーすって。それを繰り返してるうちに、やっぱしんどくなって来て、本屋に行って留学する本とか読みまくって。そしたらちょうど半年後くらいかな、、、地元の留学してる奴がちょうど帰って来てて、そいつ捕まえて、その日に家に連れてって。そいつは地元の高校の中でも頭の良い高校に行ってたから、高校名を出したら信用あるかなって思って、そいつに親にプレゼンさせて親がその話を聞いて「まぁじゃあ、うちの息子の事を面倒見てもらえるんだったら留学させるわ」って言ってもらって、留学したんですよね。

T.B)けっこう無茶苦茶ですね(笑)、、、そこからカリフォルニアなんですね。

村田)そこから寮に住んで生活がスタートしたんですけど、HIPHOPも好きだしレコードとかも買いまくって、でも英語はやっぱ全然、、、学校もろくに行かなかったんで喋れず。で、一年後くらいに親から電話かかって来て、うちの母親が「あんたそろそろ大学行けるでしょ。留学して一年経ったし」って。でもまったく英語わかってなかった(笑)言ってみたら“What time is it now?”って聞かれても“YES!!!!!!”って言ってたんですよ(笑)イエァア!!!みたいな(笑)YESとNOで、、、ノリみたいな(笑)“What’s up man?”だけが一流で、その後続かないみたいな、、、(笑)で、うちの親から連絡来て「ちゃんと大学行かないんだったら仕送りせん!」って言われて、、、やべっどうやって生きて行こう、、、って感じで、そこから勉強したんですよ。留学した一年間は酒飲んで毎日パーティーしてたのを、学校行く為に全部辞めて。友達付き合いも辞めて、学校もちゃんと行って。で、半年間朝から晩まで毎日勉強して、そこのエリアの大学に入って。で、その大学に入った頃に、日本人の友達の引越し手伝ったんですけど、その子のホームステイ先が黒人の家で、そこの家族の息子がRAPをやってて、そいつらに出会って人生が変わりましたね。

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村田)そいつらみんなInglewood(イングルウッド)出身の連中で、イングルウッドのアンダーグラウンドHIPHOPのCREWでUPS(Underground Poets Society)っていう、まぁ日本じゃ全然みんな知らないですけど、13人くらいの黒人のCREWが居て。その13人の中の5人で、BLACK WHOLE(ブラックホール)っていうRAPグループをやってたんですよ。自分がそこのRAPグループのバックDJをやり始めて、そこからですね。黒人の連中と過ごしてやっていったのは。で、色んな大学でShowしたり。一緒に、Planet Asia(プラネットエイジア)とかTha Alkaholiks(アルカホリックス)とかあの辺と一緒にShow出てました。インディーズでもレコード出しましたし(笑)で、CDを作った時に、アルバムを作ったんですよ。だけど、インディーズなんて結局自分たちで一生懸命で売らなきゃダメじゃないですか。それを、黒人の気質かなんかわからないど、作っただけで満足して売ることは全くしなくて(笑)それでこれじゃダメだなって言って。俺DJ辞めるわって。

T.B)DJを辞めて抜けたんですか?

村田)DJ辞めて俺が売る!って。

T.B)マネージャーに転向されたんですね?

村田)うん。DJやりながら売るのは大変だと思うから、、、ちょうどその時に一人、日本人のいいDJに出会って。昔でいうJurassic5(ジュラシック5)みたいな感じで5MC2DJでやってたんですよ。でも俺が抜けても大丈夫だなって思ったんで、マネージャするわって言って。そこからですね、音楽に対して裏方をするようになったのは。

T.B)マネージャーになってからどんな活動されてたんですか?

村田)売り込むことはもちろんなんだけど、その後にパーティーやってたりとか色々やってたんですよね。オーガナイズもロングビーチで年2回日本人800人くらい集まるパーティーやってましたし。そういうのもやってて(笑)

T.B)それから日本に帰って来たのはいつ頃ですか?

村田)26歳になる前に東京に帰って来たんですけど。東京でLAのコネクションのHIPHOPのDJにミックス作ってもらってCDをManhattan(マンハッタン)とかで売ってたんですよね。で、そういうのからやり始めて。で、Super Good DJs(スーパーグッドディージェース)っていうコミュニティを作ったんですけど、そのきっかけが、2004年2005年から海外のDJはSCRATCH LIVE(スクラッチライブ)に変わって行ったんですよね。レコードじゃなくデジタルになってたときに、LAのDJは皆、俺が日本人って知ってたから「俺のレコードを日本で全部売ってくれよ」って言ってきて。えぇ今まで汗水垂らして集めてた奴を売るの?みたいな。

T.B)自分のコレクションを売るってことですか?

村田)そう。「もう邪魔じゃん。もうこんなの使わねーよ」って。あっそういう考えなんだ、海外のDJって感じて。それで、絶対に時間が経ったらデジタルの部分って来るなっていうのは思ってて。でも、普通にデジタルレコードプールとしてDJに曲を提供するだけじゃなくて、DJを紹介できるようなコミュニティを作ろうと思って。

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の周りがハッピーになることが幸せと感じる。

村田)自分は北海道出身だったんで、北海道のDJと沖縄のDJって繋がってないなって思って。ラッパーだったら頑張ってたらfeatで違うエリアの連中と絡めるじゃないですか。でも、やっぱり東京以外のDJは東京しか見てないし、大阪の周りは大阪見て、大阪でやった後に東京見て、、、でも、そうじゃなくてもいいんじゃないかな?って思ったんですよ。逆に九州のDJは九州のDJとみんな繋がってまとめる力があるなら、東京の人と仕事できるわけじゃないですか?だから全国のDJのコミュニティを作って、ただ曲を提供だけじゃなく、コミュニティで誰か紹介してください?って言われたら誰か紹介できるような、そんな団体を作ったんですよね。その団体を作る為に、バックパック背負って青春18切符で日本全国旅をしたんですよ。

T.B)じゃあ全国廻って、実際に会って話をして来たんですか?

村田)(うなづく…)

T.B)凄い行動力ですね。

村田)で、一番最初に東京のトップDJのKOYA君たちに「こういうデジタルレコードプールっていうのがあります」と話に行って。その時はまだ、ダウンロードではなく、俺たちはアメリカから曲を集めてダウンロードして、CD、DVDに焼いて提供してたんですけど、、、そしたら「面白いじゃんお前ら。俺らも最近使い始めたよ」っみたいな感じで。で、「こういう組織を作りたいんで、協力してください」って言ったら、良いって言ってくれて、じゃああいつが良いって言うなら良いよっみたいな感じで、KOYA君たちがOKくれて。で、名古屋、大阪行って。名古屋だったらCAUJOON君たちとかに会いに行って。アポもWEBサイトから連絡して(笑)

T.B)お問い合わせフォームから(笑)

村田)うん(笑)で、俺ドレッド長かったんで(笑)バックパック背負ったドレッドの長い、訳のわからん奴が行くわけですよ(笑)で、熱い気持ちを伝えて、そしたら先輩達が、、、お前のことよく知らないけど、とにかくアメリカに住んでて、今東京に住んで、わざわざ東京からローカル電車で俺に会いに来てくれた事だけでリスペクトだ!みたいな(笑)で、KOYA君とかあの辺がいい言ってるなら俺らもOKよ!っみたいな。大阪だったらBENKAY君とかMINAMI君とか、それぞれの土地のトップDJを集めたわけですよ。北から南まで。それで組織を作ってHPを作ってやっているうちに、、、一個事件が起きまして、、、とある所から、こいつらフェイクだ、偽物だと。で、どうなんだと。すげぇ2ちゃんとかでガンガン叩かれて。そこで凄い揉めて。その時に、フェイクって言われて、、、「だったら本物を持ってくればいいんでしょ?」って思って。俺らはフェイクって思ってなかったけど、やっぱりあの時はみんな「アメリカの物って良い」っていうイメージじゃないですか。その時DJcityっていうレコードプールがアメリカで一番イケてると。じゃあDJcity Japanっていうのを俺が作れば誰も文句を言わないんじゃねーかと。っていうので、DJcityに交渉しに行って日本に持って来たんですよ。

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–静かなオフィスの中、大きなDJセットを目の前にヒートアップした村田さんの話と僕の笑い声がテンポよく飛び交う中、どんどん話しは加速し村田さんの今の活動の話になっていく…。

T.B)DJcity Japanを立ち上げるのはスムーズにいったんですか?

村田)“DJcity Japan”を立ち上げるのに、凄い役立ったのが“Super Good DJs”というコミュニティだったんですよ。なぜかっていうと、自分がDJcityの社長に交渉しにアメリカに行った時に、、、もう横浜に一人手を挙げてる奴がいると。で、「じゃあお前とそいつを天秤にかけて、お前はその横浜の奴より何が出来るんだ」って言われて。その時“Super Good DJs”で150名くらいDJが登録してて。だから「俺は今150人のDJがいて、でも150人全員をDJcityの会員にするのは無理だけど、3分の2は確実に入れれる」っていう話をしたら、向こう的にはゼロからスターか、100からスタートかだったら100からじゃないですか。で、そこで自分たちが勝ち取ったんですけど、、、まあ、今、冷静に考えたら、横浜の奴が本当に居たのかなっていう(笑)

T.B)そこから“DJcity Japan”の活動をしていくって感じなんですね。

村田)DJcity JapanをやりつつSuper Good DJsもやってたんですよ。その後また、、、色々と揉め事があって(笑)それで、そういった事があって、自分はDJの為にやっていた事だけど、もしかしたらこれはDJの為じゃなかったのかなって思い始めて、、、自分はDJ辞めてたし。一回も二回もあったら三回目もまたあるんじゃないのかなって。で、Super Good DJsを辞めようと思って、Super Good DJsとかDJ以外にやってた商売も辞めて。一回オフィスとかも全部畳んで。DJcity Japan一本にして。その辞めた物の売り上げが全部無くなってしまって、従業員に飯も食わせられなくて・・・。でも俺が決断した事だし、それで仲間を切るとかは無いんで、ビジネスマンとしてはやっちゃいけないことかも知れないけど、銀行から金を借りて給料払ってましたね。でも、DJcity Japan本格的にやって会員数を伸ばして金も返して。半年後には自分の目標にきれいに合わせて実現していったから、従業員もこの人言ってた事に間違いないなって思ってくれたと思う。それで、多少お金にも余裕が出来たんですけど、俺自身が人並みの物欲はあるけど、高級車乗ってタワーマンション住んでとか、そういった欲は無くて。それよりも、周りの仲間と楽しいことやって、みんなハッピーになっていく事のほうが大切で。だから、そういった事しかやりたくなくて。

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