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DOWN ON THE CORNER

自分が触れて来たカルチャーを身に纏う

Guest:土井YACK康之

T.B)今よりそういった意味では活気があったんですかね。

YACK)そうですね。時代的にはバブルが終わって、何も無い状態。何も無いというか、だから何でもあったというか。バブルでね、そういうファッション業界の人達が、儲けてた人がはじけちゃって、次が何も見えないという時だったんじゃないですかね、、、多分。だから逆に何やっても良かった。何やってもいい空気があった。という感じじゃないですかね。でも、その時はそんな風に感じてないですけどね。今思えばそうだけど、その時は普通に楽しくて、毎日うろうろして、スケボーして流してたら誰かに会うし、時間だけはあるから、会った人に付いて行って、とんでも無い所まで行けるし、ドンドン色んな所に行けたっていうね。スケートボードやってそういう人脈が広がったっていうのは、スケートボードやってなかったら、、、無かっただろうね。

T.B)そこからNOWHEREを辞めてからはどういった経緯だったんですか?

YACK)そこを辞めてね。要するに自分でやりたい事が出てきちゃったんですよね。僕はね、スケートボードもそうだけど、西海岸のカルチャーが凄く自分の中で好きだったから、とにかくアメリカに行きたいと思って。そしたら古着屋さんでね、バイヤーを募集してるっていう噂を聞いてね。じゃあ俺行きますと。行けるんでしょ?だって、アメリカに行かせてくれるんでしょ?それで給料までくれるんだって言って。じゃあ俺行きますよって。それで手を挙げてバイヤーの仕事をやったんですよね。それがね3年半とかくらい。まぁ行ったり来たり向こうで買い付けして古着送って、ビザが切れる前に帰って来てハンコだけ押してまた向こうに戻るみたいな。

T.B)もう駐在員みたいな感じだったんですね?

YACK)そうそう。向こうで家を一軒借りてね。そこに日本から色んなバイヤーさんが来て、買い付けしてその荷物を日本に送って仕事して帰って行くみたいな。

T.B)拠点はどこに置かれてたんですか?

YACK)LAですね。

T.B)当時のLAではどんなカルチャーに触れてたんですか?

YACK)僕はね、Grateful Dead(グレイトフル・デッド)っていうバンドが凄く、NOWHEREで働いてる時から好きで。周りなんかはHIPHOPとか、やっぱり90年代の音楽はグランジの時代っていうけど、結構周りにGrateful Deadが好きなんて言ってる奴は全く居なくて。だから僕はそっちに行こうかなって。敢えて。やっぱり、、、ほら、人が知らないものをやりたいという動機なんだけれども、そっからハマっていっちゃって。だからその古着屋のアメリカ行きたいって思ったのも、Grateful Deadのライブを見に行きたいっていうのが裏にはあったんですよね(笑)それしかなかったんですよ。古着は勿論好きだったけど。でも日本で見る事ができないものを見たいと思ったら、仕事があって、、、っていう、そういう古着の買い付けの仕事も勿論するんだけど、休みの時にライブを見に行くだとか、、、そういう、仕事以外の自分のOFFの時間、、、それが “DOWN ON THE CORNER “を立ち上げるきっかけになった部分ですよね。

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T.B) “DOWN ON THE CORNER ”はどんなコンセプトなんですか?

YACK)コンセプト、、、そんな物はなかったですよ。自分の好きな物を置くっていうだけです。コンセプトとしては。だから、、、自分の部屋みたいなもんですよ。要するに、自分の好きな物を全部買って来て、一緒の部屋に入れて、なんとかこう見た目も良く飾りつけして終わりですよ(笑)

T.B)帰って来てすぐ “DOWN ON THE CORNER “のショップを立ち上げたんですか?

YACK)帰って来て、裏原宿の繋がりで、ちょっとお店をやらないかってある方からお話を頂いて、じゃあ俺やりますって言って。それをやる為に古着のバイヤーも辞めて、帰って来たんですよ。LAでやってる時に、趣味で自分が集めた色々なものが沢山あったから、それ持って行ったらお店できるんじゃないかって思って、単純に。それでやったんですよ。

T.B)当時のお店はどこにあったんですか?

YACK)竹下通り抜けて、明治通り渡ってムラサキスポーツの間の道入っていくと裏原宿っていわれるエリアなんですけど、そこを入った最初の角の地下にあったんですよ。だから”DOWN ON THE CORNER”って名前にして。角の地下だったから。場所的には良かったんだけど、凄く目立たない入り口でね。ひっそりしたような感じで怪しい感じはあったんですけど。

T.B)立ち上げ当時からオリジナルのアイテムを作られてたんですか?

YACK)作ってましたよ。やっぱり自分のやってきた事の流れでいうと、まずは古着があるじゃないですか。だから向こうで買い付けて来た古着のスウェットとかに自分でシルクスクリーンで印刷する。そのシルクスクリーンに関してはジョニオ君から盗んだんです。

T.B)シルクスクリーンの技をですか?!

YACK)うん。ジョニオ君がUNDERCOVERをオープンする時にオープン用の商品を夜なべして作るわけですよ。アパートの一室で。そのアシスタントというか手伝いでやってる時に、シルクスクリーンって面白いな、こうやってできるんだって。切ったり縫ったりとかはできないけど、これは俺も出来るかもしれないなって思って。それを教えてもらって、自分なりに出来たので、買い付けて来た古着に自分でプリントして。だからヴィンテージのスウェットとかでね、本当は高い物なのに、それにプリントしちゃってね。古着屋さんに怒られちゃってね(笑)「うわぁダメだよ刷っちゃ、、、あ~あ。」って(笑)プリントしなければ1万円2万円で売れる物にプリントしちゃってるから、価値ダメって言われちゃったりとかしてね(笑)でも自分はそれが、だからいいじゃん!これにやっちゃうから良いんじゃん!って思ってやったんですけど、でも結構引いてる人も居ましたけど(笑)

T.B)シルクスクリーンはお店の中でやってたんですか?

YACK)お店の中でやってましたね。そこしか、、、僕は無かったから。家もね、、、実家は目黒にあったんですけど、家には帰ってなかったから。だから友達の家に寝袋一つ置いて、そこで寝たりとか。そういう感じだったから、お店っていう場所が出来たら、もう自分の部屋じゃないですか。だからお店を閉めた後に夜からやるんですよ。プリントを。

T.B)凄いですね!その生活は面白いですね(笑)

YACK)面白いですよ。だから夜作った物をオープンしたら売るから新鮮でしょ?(笑)

T.B)そうですね!フレッシュですね(笑)出来立てですもんね。

YACK)それがだからオリジナルを作った最初のやり方ですかね。

T.B)しばらくはシルクスクリーンのアイテムだったんですね。

YACK)うん。最初はまったく売れなかったんですよね。色々なことがあって借金も結構あったりとかしてね、結構キツかったんですけどね。でもそのとき自分は最高だと思ってるから。若いし自信過剰じゃないですか。自分大好きだし。だから売れなくても、なんで売れないんだろうな、、、っていう。みんな馬鹿なんじゃないのかなって。思ってましたよ、本当に。みんなおかしいんじゃないかなって。どこに目付いてんだろうってくらいに思ってたんですよね。でもね、半年かな、、、鳴かず飛ばずやってたら段々売れるようになって来て。で、そうやってるうちにシルクスクリーンでやってたのが追いつかないんですよ。当時4人くらいで工場並みですよね(笑)店閉めてから。店が工場になって、プリントする人、乾燥とアイロンやる人、たたむ人って(笑)夜中2時とかに終わる訳ですよ。終わってから近所のバーで飲んで、そのままお店に泊まってなんかして、朝お店で歯を磨いて。それで、キツくなってきて。売れるようになって来たっていうのは嬉しいんだけど、周りのお店もどんどん大きくなってきてたし。色んな仕事のやり方を周りに教えてもらって、プリント工場さんに連れてってもらったりとか。こういう所に頼むんだ!とか、プロの仕事はやっぱり違うなとか。僕は見よう見真似でやってたんで。工場行って作るやり方とか教えてもらって、そうやってるうちに、どんどん色んな物を作れるようになって。生地から選んで、古着を持って来たやつをこういう形でこの生地で、、、とかできるようになったんですよね。

T.B)じゃあそこからパターンとかもやったりとかしてたんですか?

YACK)そうですね。そういう専門的な人は周りに居たので、頼めたから。

T.B)じゃあデザインはYACKさんがやられてるって感じなんですね?

YACK)そうですね。オリジナルで作る物と、お店をオープンしてからも3ヶ月に1回くらいはアメリカに買い付けに行って、Grateful Deadのライブを見に行ったりして、色んなバンドを見に行ったりして。ジャムバンドカルチャーとかそういう風に言われるようになったんですけど、それが生まれる時くらいかな。そういうライブ会場行くと、ファンが生活の為に色んな物を売りに来てるんですよ。バンドを追っかけて生活しているデッドヘッズっていうコアなファンって車でずっとバンドを追っかけてるから、収入源として自分で作ったステッカーとか自分で作ったTシャツとかホットドッグ焼いて売ったり、凄い色々な事をして、そのお金でバンドを追っかけしてるんですよ。だからそのライブ会場行くと、今みたいな取締りとかされてなくて、バンド側も容認していたというか、、、だからそうやってカルチャーがそこに出来てる訳じゃないですか。だからその当時のヒッピーカルチャーだとか、、、そこに思いっきりハマっちゃったから、、、その世界を日本でやりたいなと思ったのが “DOWN ON THE CORNER ”だから。

–YACKさんが触れて来たカルチャーの話しに引き込まれて行く僕。時間を忘れて、 “もっと聞きたい ”というワクワク感を抑える事でいっぱいだった・・・

Photographer:Reika Figuigui

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