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PURPLE NINJA by ISH-ONE

PURPLE NINJA by ISH-ONE

TOKYOBASE 以下 T)今日はよろしくお願いします。

ISH­-ONE 以下 I)よろしくお願いします。

T) 9年間NYに居たということですが、具体的にNYではどんな活動をされてましたか?

I)最初の1年間は語学留学をしようとして行ってたんですけど、音楽の学校でミキシングとエンジニアとミュージックビジネスの学校に入学して、そこで1年くらい学んだ後に、現地のスタジオのプラクティカルトレーニングって言う職業訓練ができるんですけど、それで現地のスタジオに入り込みつつ、ライブとかを現地でやって、バトルにも出たりした経緯で向こうで契約を結びました。

T) NYではラッパーを目指すって言うよりか、裏方の仕事がやりたくて行かれたんですか?

I)全部やりたかったですね(笑)全部一人でできるようにしようって思って。最初は歌やりたくて行ったんですよ。それで歌の学校いったりとか、向こうだとワークショップってちょっとずつクラスが取れたり出来るので。このワークショップなら一流の先生が教えてくれるよ!みたいなのがあるんで、絵の勉強したり、ダンスもマライア・キャリーのバックダンサーに習いにいったりとか。とにかく色んな事学ぼうと思ったのがNYに行ったきっかけでした。1年目は語学だけで2年目は現地で英語で電気工学だったりとかを学んだんで、最初はちんぷんかんぷんだったけど頑張って卒業したって感じですね。

T) 渡米したときは英語はできたんですか?

I)見よう見真似で(笑)喋れるんじゃないか?俺。みたいな感じで(笑)最初はやっぱり全然わからなくて。でもサバイブしなくちゃいけないじゃないですか(笑)家借りるのからご飯買いに行くのも全部英語つかわないといけないんで。そんな状況下に置かれると人間って絶対に強くなるんじゃないかなっていうのがあって。もうとにかく若かったんで…18歳とかなんで、とりあえずやるしかないって。

T) 9年間のNYの生活から帰って来る時、何故名古屋ではなく東京へ?

I)実は名古屋に一回帰ってるんですよ。向こうで結構良い契約を結んでいて、リリースもしていないのに一流の生活をしろっていうのを社長にも言われていたので、結構お金とかもらっていたんですよ。でも契約が自分の中で気に入らない事もあって自分から契約を切って日本に帰って来たんですね。そのときは帰って来たらお金もないし、無一文だし。

T) その状況の中、はじめどうされたんですか?

I) 契約の時にダイヤの16個くらいついたブレスレットを契約金の頭金だって言われて社長にもらってたんですよ(笑)あっ、これHIPHOPドリームだって思うじゃないっすか? (笑)それで帰って来て速効で名古屋の質屋に持ってたんですよ!そしたら、ダイヤモンドの価値は下がるんでこれくらいですね~って言われて。これ対して高いダイヤじゃなかったんじゃないかな(笑)みたいな(笑)それぐらい本当にお金無かったんで、最初のうちは名古屋でバイトしながら東京に行くための資金を作ってましたね。

ISH-ONE

T)そうなんですね(笑)その当時名古屋から東京に行くきっかけは何かあったんですか?

I)もともと名古屋は18歳までしかいなかったんで、いはゆる青春を共にしたっていう友達もあんまりいなくて、やっぱり名古屋だけだとビジネスの中心がまだないっていうか。NYの街に居て名古屋に帰ってくると、やっぱりスケールがちょっと下がるし。もちろん最初はやっぱり地元からって思ってたんですけど、やっぱり東京の方が友達が色々居たりとか、動きやすいと思ったし。面白いじゃないですか、東京って。だから地方の人って頑張って東京出て行ってそこから世界に行く人っていうのが多いんですけど、先に世界に行っちゃってるとスケールダウンするのが難しいですよね。だからやっぱり東京で良かったのかなっいうのはありますね。東京一番楽しいですよね。磁場が凄いじゃないですか。東京って。だからこんだけ人が狂っていくっていう街だと思うんですよね。(笑)

T)NYと東京のHIPHOPって違うと思うんですけど、実際見て来てどうですか?

I)やっぱり、生活に馴染んでるかどうかって言ったら、比べられないと思うんですよ。やっぱり歴史も深いし、人種的なものもやっぱりあるんで。でも一番NY近い街っていうのは東京だと思いますね。だから温度差っていうのはそこまで感じなかったですね。やってる人達は昔からやってるし、そういうカルチャーは全然東京の方が根付いてるし。東京は東京で凄く面白いなって思いましたね。この面白さをどう沢山世界に伝えたりとか、東京ももっと面白いパーティーとか面白い事を発信しないと、せっかく日本・東京っていうブランドだから。って思ったりしますね。でもやっぱりNYは目の前にHIPHOPがある感じがしますね。やっぱり子供とかがやってるし。一つの手段としてお金を作る手段でもあるじゃないですか。日本ではHIPHOPでお金って言ってもそこまで大きなビジネスにはなって無かったりもするし。でもアメリカって言ったら、野球選手になるか、ラッパーになるか、ドラッグディーラーになるか刑務所に入るかの中の選択肢の中の一つだったりするから。(笑)やっぱり真剣さが違いますよね。ブラジルのサッカーと同じですね。サッカーしかないし、あと遊んでる。遊びながらやってるのが一番面白いですよね。カメラとかもそうだし。もっと遊びながらやらないとカチカチになっちゃうし、つまんないモノになっていくし、商業的になりすぎると考えすぎて狙ったりするのもあるじゃないすか。NYはそれがあんまりないっていうか、目の前に音楽が横たわってる感じですね。JAZZも凄い盛んですし。エネルギッシュですよね。

T) 東京に戻って来た2005年ってISH­ONEさんは今のスタイルと少し違うんですか?

I)やっぱりフローとかは変わりますね。昔は昔で我武者らにやってた時代もありますし、自分のスタイルが確立されたのは全然後の方だし、東京に来てからですね。

T) 戻って来てからはずっとソロなんですか?

I)ソロですね。ただ、自分にもクルーっていうか、YINGYANGのSAGGAっていう相方が居たりとか、当時一緒にパーティーやってたZIPBLOCKの中の一人のDELMONTEと、今は一緒にTEAM2MVCHっていうプロデュースやってて、2006年くらいに出会った仲間達の生き残りで今も活動してますね。確かにクルーみたいなのはあったし、その中で僕らは派閥に入らなかったタイプだったんですよ。東京来てドコと仲良くしてたの?ってみんなによく言われるんですけど、ある意味仲良くしてるし、仲良くしてないっていうか、別にそのドコかと常に居ないんで、逆に東京で昔からやってる人からしたら、どっか目の上のタンコブだったのかも知れないですね。来たときは。でもやっぱりDABO君とかジブさんとかも、みんな最初はどういうやつが来たのかな?バイリンガルの新しい波なのかな?って思ってくれたり。そこから付き合いも仲良くしてもらったりして、ジブさんとかに関してはアルバムに呼んでいただいたりして。あっ新しい奴らなんだなって言う風(ふう)に見てもらえたんだなって思いましたね。

T)当時ってさんぴんキャンプとニトロの世代が世代交代かな?っていう時はUSの風がさらに入って来て盛り上がった中で、その当時でもISH­ONEさんスタイルってさらにUSなRAPだと思うんですけど、お客さんの反応は?

I)今でこそみんな聴いてくれるようになりましたけど、僕らのスタイルは新し過ぎたっていうのがどこかにあって、聞き取れないとか英語を多様する以上、日本語ラップにカテゴライズされない、バイリンガルラップって言われたりして、最初は受け入れないって言う体勢の人がいましたね。それこそ昔から日本でやっていて、フローという部分にあまり力を注いだ事無い人たちとか。だけど、僕らの“アメリカのRAPを知ってる”っていう意味は、相撲が日本で作られたから海外の人間が日本に来るように、HIPHOPが作られたのはNYで、NYの土壌で生まれた音楽理論や文学的背景、人種的背景を元に作られてるものなんで、そこの理論をまず知った上での日本人のHIHOPなんですよね。だから僕らはアメリカに行ってその場の空気もふまえて知ることが大事だった。アカデミックというか勉強してきた感じなんですよね。KOJOEとかEGOとかAKLOとか、英語で喋れて日本語でHIPHOPしてるバイリンガルと呼ばれるやつっていうのはそこが違うんですよね。英語での文法の組み方がわかって、話のオチの作り方がわかった上で、あっ、そういう風な切れ方だとそれ納得ができる、リズムでも話の内容でもケツにオチが着くっていう理論がわかった上でそれを日本語に置き換える。日本語だとできなかったり、固かったり、単語だけになっちゃったりするから、AKLOにしても僕もすごく考えた。二人とも結構昔からバイリンガルラップとして知られてますけど、今みたいに日本語が聞き取れるスタイルになっていったのには長いプロセスがあったと思いますよ。それこそさっき東京に来てスタイル変わったって言いましたけど、NYに居るときはとりあえずフローしてればいいし、逆にNYに住んでる日本人に日本語で語る事ってないじゃないですか。だから英語で書いていたけど、すごいやつはいっぱい居るんで、なかなか難しかった。でも日本帰って来て色々経験して、あっ、日本人ってこういう事言ったら響くんだって事がわかってくると、それをわかった上でアメリカで学んだ理論を応用して言葉を作っていこうとか、言葉の切り方を考えていこうって思うようになった。たぶんオタクなんですよね(笑)好きだから、勢いでやるんじゃなくて、ちゃんとどういう構造でできてるのか成分を調べていくのが、僕らバイリンガルラッパーの違いだと思うんですよね。

PURPLE NINJA by ISH-ONE

 

 T) 曲を作るときは、リリックが先ですか?トラックが先なんですか?

 

I)同時だと思いますね。例えば、人からトラックもらった場合はトラックが流れて情景が浮かんだらそれに対しての言葉になりますし。自分が作ってるなら、弾き始めてある程度ベースの部分が出来たら、頭の中で曲が出来てメロディラインが出来てるし、あとはそれを具現化するだけ。スタジオ入って時間通りに落とし込むっていう作業をするだけ。同時だと思います。先にこういった曲書きたいなっていうイメージはありますけど、先にリリックを書いておいて、ビートをハメるっていうのはまず無いですね。ビートがあって、ビートの間(ま)とかを理解した上で、最新のフローとか、トレンドはここだよな、でもトレンドよりもうちょっとヤバいフローの方がいいよなって考えていく感じですね。

T) 最近だとプロデュースをされてると思うのですが、そういう時も具体的なアドバイスをするんですか?

 

I)しますね。S7ICKCHICKs(スリックチックス)っていう女性の5人組のラップグループをプロデュースしてるんですけど、彼女達の場合は元々ラップのスキル自体があるので、ちょっとおかしいなって思った所は言いますけど、ラップっていうのは生きてきた人と成りしか出てこないので、基本的には彼女たちのリリックには何も言わずに書かせてますね。ただHOOK(フック)とかコンセプトとかは、これでいこう。とか。HOOKは僕が全部書いてるんで、メロディラインも作って、仮歌(かりうた)も録音した上でAYAに歌わせてます。っていうのもあれば、孫GONG(ソンゴング)っていう京都のラッパーをプロデュースするときは、フローから全部変えていったりしてますね。それだと古いから32分の1の取り方を64分の1にしてみようとか音楽理論的な話ですね。そういった聞こえを良くするための仕事をするというか。プロデュースっていうのは多分そうだと思うんですよ。結局そのアーティストの素材を見抜いて、足らない物を補っていって、あ~ヤバいなとオーディエンスに魅せれるかどうかだと思うんですよ。結局素材自体が良くないととかあると思うんですよ、それをお手伝いするっていうのが僕の仕事だと思ってて、なんとか上手く見れる物に、無いものに変えてあげる。例えば1人だったら売れないけど、5人だったら売れるとかそういう見方ですよね。見よう見真似でやってみたら出来たっていうのが今回あったっていうね。(笑)

T) 今、プロデュースされてるのは2組ですか?

I)ほかにもちょくちょくあって、地方再生に関しても相談を受ける事が多いですね。いままでどうやってやってきたの?っていうことをよく聞かれたりします。コンサルみたいなもんですね(笑)HIPHOPで食っていくにはとか。僕も地方出身者で東京に居るけど、方法は違うかもしれないけどプロセスは同じだと思うんですよ。結局地元で面白い奴が集まらないと、誰もそこに集まらないじゃないですか。それこそ人を知らないとわからないんで、音楽をやる前に人が集まる場所があって、ちゃんとそれを引っ張っていけるリーダーが居て、若い人たちにちゃんと機会を与えて上げるってことをしてかないと。地元で出来ないんだったら、みんな東京に来ちゃうんじゃないですか?僕が名古屋に留まらなかった理由って名古屋にHIPHOPが無いとかではなくて、名古屋じゃ回らないからですからね。あと自分自身の城を築きたかったっていう理由もあったので、レーベルに頼らずに、まず一(いち)から自分で作らなくてはいけない、という想いもありましたね。

T) プロデュースをしながら自分のリリースやライブもあってかなり忙しいんじゃないですか?

I)かなりてんてこ舞いになってますね。(笑)貧乏ヒマ無しってまさにこういう事を言うんだなっていう(笑)ライブだったり、映像の監督、ディレクションとかもしたりするんで。やっぱり、やれる事全部自分でやらないと、誰かが結局やる訳じゃないですか。その誰かが信用できなかったらアホみたいな作品なっちゃうし。極力、自分と、自分たちが信頼できる仲間でやるっていうのが凄く重要で。結局流通会社に曲を渡しても作品に対して情熱を感じてくれなかったら売ろうとはしてくれない。それに、自分達のリリースの良い方を選ぶじゃないですか。でも仲間だったら仲間を売ろうって思うし、信じるものに人間は力を使おうとするから。お金のことばかり考えてると崩れていくと思うんですよね。デリケーションですよね。捧げる気持ちがないと輝かない。片足だけぬるま湯に突っ込んでカサカサやってるだけじゃなくて、どっぷり使ってる方が好き。冗談しか言わない仲間が好きですね。それでなんとかなってるみたいな(笑)

T) 12月出されるニューアルバムのコンセプトってありますか?

 

I)コンセプトって特になくて、自分の中で紫色っていうのがここ1年くらいですごく影響受けた色だったりするんですね。ジョーカーも紫だったり、高貴な色だし、知性的な色だし。だからPURPLEは使おうかなって思いましたね。今回『PURPLE NINJA(パープルニンジャ)』っていうタイトルですけど、“NINJA”っていうのも俺自身が日本人だし、それと僕らは闇を張らして、金貨を盗んでくるみたいな(笑)例えば、ニガとかジガとか色々ジャパニーズだけども仲間を呼ぶ方法って色々あったと思うんですけど、そういうのじゃ無くて“NINJA”って言い方をみんながここ数年して来てるなって思ってて。あと自分たちをNINJAって言うのもかっこいいなって。だからタイトルにしましたね。

ISH-ONE/PURPLE NINJA MV 2015年12月2日 New release

T) 今回はどんなFeatアーティストが参加してるんですか?

 

I)RWEMYっていうNYの頃からの後輩でASAP ROCKYと同じ高校行ってた奴で、向こうでもラップやってて、日本に帰って来て渋谷で自分のパーティースタートさせてて、弟分みたいなやつなんですよ。僕アルバム作る時にこうしようっていうのが特になくて、曲が出来たからアルバム作るという。その期間に作ったものだから大体まとまるんですよね。今回も『NINJAS ON THE MISSION』って曲があってMVも出てるんですけど、アレも本当にノリで。アメリカのフレンチモンタナのCoke Boysっていうレーベルがあって、そこの奴のミックスCDに入れたいっていう依頼があって、その為に作ったんですね。だから半分英語だったりとか、NINJAって言葉使ったのも、アメリカ人が聴いてどう思うかな?とか、ジャパニーズでもこんなラップできる奴居るんだとか、Coke Boysのアメリカのファンがいいかなって思うようなコンセプトで作ったんで、そこが指針かも知れないですね。でも最終的にめちゃくちゃだったな(笑)作ってみたら。一曲4、5時間しかかけてないですね。曲を作る所から、レコーディング終えるまで。(笑)

T) リリースライブが12月5日にあるんですよね?

 

I)S7ICKCHICKs、孫GONG、昔から親交があってツアーも一緒にまわったりするHOOLIGANZとかも出ます。TAKUMA THE GREATも16歳から知ってるくらいの仲なんで。自分の周りで面白いアーティストを集めて、ライブフェスみたいなのやりたいなって。昼のお客さんアピールしたいなってのもあって、昼に開催して色んなお客さんに来てもらいたいなって。アーティストってなかなかマネタイズができないんで、グッズ作ったり、ファンと交流したり繋がりを持てて、コミュニティが作っていける環境が整ってないと思ったので、ファンを集めて交流を深めることが出来たら、面白いよっていうのをみんなが広めてくれるかなって。みんな音楽で食おう音楽で食おうってずっと思ってると思うんですよ。だから、その環境を作ろうという想いもあって。ただ、僕はもう音楽で食おうっていう時代は終わってると思うんですよ。YOUTUBEで見ちゃうとかダウンロードとかどこでも聴けちゃうじゃないですか。音楽に触れるっていう事に関してはボーダーレスっていうか、お金が課金して聴くって言う体勢ではないんですよ。みなさんが。音楽好きな自分でさえ、音楽買ってないんですよ。でもたまにヤバいアーティストが出たら買いますよ?コレクター魂で。絶対WAVだしこっちのCDは音はいいだろうなって買いますよ。それ以外だったら別に情報として手軽にGETできたらいいなって思いますし。ヤバかったら聴きたいし。クラブで聴きたいなって思いますよね。だからそう考えたら、音楽にお金を付けて売るって事自体がもう流行(はやり)じゃないなって思っちゃってて。だから音楽は届けばいいって思ってます。それこそアメリカの奴らはフリーダウンロードとかミックスをサイトに乗っけてどんどん配信してるのも、スピードを持たせて届ける、音楽はそういうモノだと認識してるんですよね。あとはコンサートをすれば、生で聴きたいファンは来るし、そのためにお金を出す。あとはアメリカだったらダウンロード数が多ければスポンサーがつきますよね。アメリカってそういう金の稼ぎ方なんですよね。未(いま)だに日本の古いレコード会社の人たちは、どうやったらCDが売れるのか?って気にしてますけど、それはそれだけデカいところが飯を食うためだけの作戦のひとつであって、個人が飯食うんだったら300人400人でちゃんと売れてれば飯食えちゃうからCDが売れる売れないとか気にする必要は無いんですよね。(笑)

PURPLE NINJA by ISH-ONE

T) ISH­ONEさんはライブのときの衣装のこだわりはありますか?

I)アルバムから出る曲で、「Mr.problem」っていうのがあって、女の子を起用して4人のダンサーを背後につけて、黒色を基調とした衣装で全員窃盗団にしたり、宝物を盗みに行く五人組といった設定はありますね。全部繋がってると思うんですよ、ビジュアル的なイメージ、ファッション、音楽も。さっき音楽を売らないって話に繋がるんですけど、ASAP ROCKYがこっち来て一緒にハングアウトしてた時に、ASAP ROCKYに言ったんですよ『お前の音楽かっこいいと思うよ』って。そしたらASAP ROCKYが「We don’t make music. We make style.(俺たちは音楽なんか作ってねーよ。スタイルを作ってるんだ。)」って言った時に、あーなるほどって。結局ASAP ROCKY達がやってる事はスタイルであって、音楽を売ってるんじゃなくて、あーいう生き方。あーいうスタイル。だからスタイルを売るって事自体が出来る奴らがアーティストであって、それ以外はみんな別物。0から1ではなくて1から10を作るだけでしょ?っていう。僕はどっちかっていうと、0から1を作るのが大好きなんで、お金があろうが無かろうがそこに面白さがあればやるべきだし。それがスタイルを作る原点だと思うんですよね。

T) MV見てると洋服好きですよね?買い物とかもされるんですか?

 

I)それがね、実はそんなにしてなくて…(笑)色んな人がくれる事が多いので。(笑)僕はX-LARGE昔から凄く好きでNY居た時すごい買いに行ってて、Supremeとか流行った時出会ったんで。日本に帰って来た時に、自分のリミックスで服を出してくれたりとか凄い嬉しかったりします。自分の中でかっこいいなって思ったものは、なんでも着たいなって思うんですけど、もっと自分で開拓したいなっていうのはありますね。かっこよくて、自分が知らないブランドもいっぱいあると思うんで。元々絵も描けるんで、将来的になんかオリジナルでもできたらいいなって。それこそ、スタイルを貫けるブランドと絡めたらいいなって思ってますね。

T) ドメスティックブランドも着ますか?

 

I)MSGRというブランドが好きですね。スタイル的にもスラッとしてますし、NINJA的なコンセプトにも合うんで。僕はモノトーンが好きなんですよ。あと地方とかでも色々ありますね。地方で作ってるかっこいいブランドもありますし。でもありがたいですね。行ったら行ったで着てよ。って言われるので。

T) 話を音楽に戻しますが、夏にリリースされたSNOOP DOGGとの楽曲のMV作成をクラウドファンディングを使って新しい切り口から挑戦をされましたが、何かきっかけがあったんですか?

I)今回SNOOP DOGGの契約も結構厳しくて、写真はダメ、名前を使ってリリースはこれだけとか、MV作るとこれだけかかるとか。段階の契約があるんですよ。今回のSNOOPの契約は名前を使ってリリースするのはOKっていう契約だったので、どうしようってなって、写真も使えないし、MVも撮影できないし。で、アニメーションっていう手があったんですね。それで、日本のアニメーションってやっぱり世界で誇れるものだし、それでSNOOP作ったらかっこいいと思ったんですね。でも、凄く費用がかかるんですね。だからみんなで参加して名前がMVに入るし、僕もSNOOPとやったし参加してもらえるかなって思って参加したんですね。今回はMAKUAKEさんとBABEL LABELさんっていう映像会社さんと一緒にやったんですけど、僕も色々とあってクラウドファンディングに集中できなかったことが、今回の失敗だったかなって。でも50人近くの方がお金出してくれて目標には達成できなかったんですけど、気持ちが嬉しいですよね。お金が発生しないとこなのに、その人達は自分のお金を投資してくれて僕は本当に感謝したいし、力になりましたね。僕の事をこんだけ本当にサポートしてくれる人がいるんだなって元気が出ましたし。とにかく挑戦していきたいですよね。

T) 今回はSNOOP DOGGだけのfeatだけなんですか?

 

I)SNOOPだけじゃないんですよ。今回一緒にやってるVictorって奴がLAで20年ぐらいスタジオを経営してた繋がりもあって、ほかの海外アーティストも参加を予定してます。ただどういう段階で出そうかってまだ迷ってて。SNOOPは日本国内のアクションより、アメリカの方が強いじゃないですか。 アメリカはアメリカで攻めていきたいし、日本は日本で今回みたいにアルバム出していきたいし。だから挑戦していきたいですね、アメリカでも日本のラッパーかっけーなって思われるように頑張りたいし。

T) そのアルバムは日本でもリリースするんですよね?

 

I)します。今の所来年の2月くらいかなって思ってて。でももうアルバムは出来てるんですよね。あとはいつ出すかっていう段階で、SNOOPの曲もほぼ1年半前には曲出来てたんですよ。ちゃんとしたタイミングを見計らって出したのがこの前の夏だったので。でもいいですよね、ギャグみたいな感じじゃないかなって、さらっと出すのがなんかウケるなって思ってて。(笑)え!?SNOOPとやったの?うん。やったよって言える楽(らく)さっていうか(笑)で、日本語ラップは日本語ラップをやるっていうのが自分でもいいなって思ってて、SNOOPとやった事もREDMANとやった事も大した事ないと思ってる。だってアーティストとして対等だと思ってるし。そんな自信を日本人のアーティストにも持って欲しいと思っててこうやって自分が頑張ってるっていうのもあるかもしれないですね。僕は向こうで、The fugeesのワイクリフのレーベルに入ってたんですけど、その時にワイクリフに言われた言葉が『俺、お前よりHIPHOPわかってるからお前はHIPHOPどーのこーの言うのはよくない!』って、日本人だからわかんねーじゃんみたいな事言われたんですけど、いや、お前だってハイチ人じゃん!みたいな(笑)NYに住んでるだけで、ローリンヒルだってハイチ人だからな!(笑)って思いましたけど、僕も何も言えなかった。ワイクリフなんていったら凄いじゃないですか。グラミー賞取ってるやつなんで(笑)そいつからHIPHOPは俺らの方がわかってるって言われた時にいや、日本人でお前らより上手い奴らいっぱいいるよって思ったマインドが、僕をNYから東京に帰ってこさせてレーベルと作らせて今まで歩んでここまで来させたっていうのがありますね。だからアメリカ人ギャフンと言わせたいんですよ。あいつら舐めてかかってきてるんで。(笑)だからこうやってアルバム出せて聴いてくれる人が居れば気力になるんで。

T) 今日は本当に貴重なお話ありがとうございました。

I)今日はありがとうございました。

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