Mar 04,2017
Guest:Kaneda Junichi
TOKYO BASE 以下 T) 最初にファッション業界に入ったきっかけを教えてください。
FILL THE BILL 金田 以下 K)服飾の専門学校に行ってて、めちゃくちゃつまらなくて(笑)結構お金払うじゃないですか。“これ”で、これなんだみたいな(笑)これなら別に行かなくてもいいんじゃないかなって。で、途中で辞めたんですよ。4年制だったんですけど2年の基礎学科が終わってから辞めて、そこから生地屋さんにバイトに行って。その時に、初めてファッション業界の人に会って。その方に、知り合いがシルクスクリーンのプリントの工場やってて三軒茶屋にあるからそこに行ったら?って言われて、あっ行きます!っみたいな(笑)見た事も無いし、どんな機械でやってるのか全然わからないけど、今よりはいいんじゃないかなっていう、めっちゃ軽い感じで(笑)そこからですよね。ファッション業界の色んな人に会ってっていうのは。大体そこから始まって、その時に会った人は今でも付き合いがあるんですけど。
T)専門学校に入る前はどんな洋服に興味があったんですか?
K)最初はジーパンからですね。古着全盛期じゃないですか。僕は金沢出身なんですけど、大阪に古着買いに行ったりっていう所からスタートして、そっからブランドってなんだみたいな。COMME des GARCONS(コムデギャルソン)、Masaki Matsushima(マサキマツシマ)とかのちょっとそういうモード系とかも着てましたし、音楽とかもパンクとか聞いていたので、SEDITIONARIES(セディショナリーズ)とかVivienne Westwood(ヴィヴィアンウエストウッド)とか、ああいうのも着てましたし、UNDERCOVER(アンダーカバー)も着てましたし、今考えるとごちゃ混ぜでしたね(笑)で、古着も混ぜてとか。結構全身で古着を着てる人も居ましたけど、僕は混ぜて着てましたね。頭をヒョウ柄にしたりしてましたね。(笑)あと七色とかしてましたね(笑)で、ライダースとか着たりとか。
T)想像できないですね(笑)シルクスクリーンの所は長く働かれてたんですか?
K)そうですね・・・3年半か4年くらい。その後は一旦内装業をしたいなって思って。中学とか小学校の時から家のチラシみたいなのありましたよね。この家すげーなって見るのが好きで。で、内装にすごい興味があって、一回ちょっとやってみたいなっていうのがあって一年ぐらいそっちに行ったんですよね。すんげー肉体労働じゃないですか。で、もういいかなって一年ぐらいで疲れて辞めて。で、友達がブランド何人かやってたんですけど、ファッションに関しては僕はシルクスクリーンで止まってたんで、今度は作る方のいわゆるOEMって言われてる会社に入って、その後さらにジーンズに強いOEMの会社に入って、そこでセレクトの物作りというか色んな事やったんですよ。パターンもやってました。そこに4年くらいいて、30歳の時に独立をしました。独立して1年くらいOEMをやって、FILL THE BILLは31歳の時に立ち上げました。
T)じゃあ、もうずっと作る側だったんですね。販売員の経験は無く?
K)そうですね、ずっと作る側ですね。販売員の経験は全くないです。ちょっと今店頭に立ったりする時もあるんですが、何やったら良いか分からないし、声をかけるタイミングも分からないし、向いてないなぁと思ってます。(笑)
T)FILL THE BILLは何年目になるんですか?
K)4年目ですかね。2012AWからなので。元々は卸のみやってました。目黒の中央町っていう学芸大と祐天寺の間くらいでやってたんですよね。
T)一人で立ち上げたんですか?
K)二人です。と言うか三人ですかね。スタッフがいましたんで。最初は趣味程度で、そんなにブランドっていう物を作るつもり無かったんですよ。最初に、本当になんとなくジーンズの絵型を書いて、そしたら作りたくなってサンプルを作ったんですが、ちょうどその時遊びに来た友達が今の会社を辞めるって言ってて、そうなんだーっていって。今こういうデニム作ってるんだけど、どう?って言ったら、じゃあちゃんとブランドにしたほうがいいよーって言ってくれて。個人的に作ってて、もちろん販売もしてなかったですし、友達に売りつけようかな程度の(笑)それで、あぁブランドかぁー、まぁやってみようかなみたいな。本当にそんな感じで(笑)。友達はやるぞ!っていう感じだったかも知れないですけど、僕はフワッとしてて(笑)もちろん周りにブランドを持ってやってる人はいっぱい居たんで、なんとなくわかってましたけど、そのブランドをやるのってこんな大変なんだって今は思ってますよ。え〜!LOOKBOOKいるんだ〜、とか物撮りもいるんだ〜とか…。お金かかるなぁって。やっぱり下請けとかやってた頃は、これこんな値段で作って、こんな値段で売れるんだ…いいなぁって(笑)裏側としては(笑)ところが!・・・みたいなかんじですよねー。で、その友達と二人で、彼が営業で僕がデザイン。だからブランドは二人で始まったんですよ。
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