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DOWN ON THE CORNER

自分が触れて来たカルチャーを身に纏う

Guest:土井YACK康之

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TOKYO BASE 以下 T.B)ファッションに触れたきっかけは何でしたか?

DOWN ON THE CORNER 土井YACK康之 氏 以下 YACK)ファッションに触れたきっかけ、、、あぁ~、、、そこから話す訳だ・・・。ちょっとファッションっていう言葉に反応しちゃって、、、ファッションの人間じゃないと思ってるんで僕は。

T.B)では洋服にハマったきっかけというのは?

YACK)服とか作ってるくせにこんな事言うと怒られると思うんですけど(笑)でもちょっと照れくさいというか、恥ずかしいという気持ちがあるんですよ、ちょっと。ファッションって言われると(笑)でも、、、やっぱりスケートボードかなぁ~・・・。

T.B)学生の頃ですか?

YACK)小学校5,6年になるとスケートボードが流行ってたんで、そっからじゃないですかね・・・。着るものを意識したっていうのは。

T.B)当時はどんな物を着ていたんですか?

YACK)いきなり501ですよ。

T.B)Levi’s501ですね。まだプレミアが付く前のお話ですか?

YACK)そうですね。スケートボーダーでDogtownとかZ-BOYSとかそういうのを見るじゃないですか。そうすると501のデカイの履いて、VANSと、、、あとはテキトーにTシャツでしょ。

T.B)横乗りのストリートカルチャースタイルですね。

YACK)まあ、501の古着屋で買って来た、、、普通に赤耳とか言ってたけど、当時は2000円とか3000円とかで買えたんですよ。だからヴィンテージとかそういうの知らなくて、普通に買ったのがそういうのだったっていうね。
それが中1くらいの時だから、、、高校生くらいになってから渋カジとか言ってたけど、僕はスケートボードが入り口だったから、アメリカのファッションというか、古着と一緒に着てたかな。

T.B)小学校から長い期間スケボーをやられてたんですか?

YACK)そうですね・・・。でもまぁ、、、今はスケートボードしなくなったんだけど、20代前半くらいまではスケボーは乗ってましたね。

T.B)YACKさん音楽もやられてるんですよね?音楽はいつからやられてるんですか?

YACK)ゴミ捨て場に捨ててあったアコギを拾ったのが小学校5年くらいから。それで家に“THE BEATLES(ビートルズ)”のカセットとかあったからそれ弾いて。でも、当時はビートルズなんて知らなくて、最初にビートルズに触れたのはポンキッキ(笑)ポンキッキの音が全部ビートルズで毎朝ビートルズ聴くんですよ。だから、覚えちゃうじゃないですか。それで家にあるカセットテープ聴いたら「あれ?これポンキッキのアレだね」って言って、「これビートルズって言うんだよ」って、兄貴に教えてもらって。

T.B)そこからギターにずっと触れてたんですか?

YACK)ギターは触ってましたよ。だからスケボーとギターはずっと。子供の時のおもちゃはスケボーとギター。

T.B)そこからバンド組まれたりしてたんですか?

YACK)高校生の時はねぇ、仲間とやったりはしたね。拾ったギターで練習してたのは中学校の時代とかで。

T.B)その時はどういったカルチャーが流行ってたんですか?

YACK)渋カジとかになっちゃうんじゃないですかね。原宿なんか何もなかったじゃないですか。だからホコ天ですね。小学校の時はスケボー持ってホコ天。みんなジャンプランプとか持って来て。当時STORMY(ストーミー)ていうお店があってね。ストーミーが一番、本物のスケートに触れる場所だったから、そこで向こうから輸入されてくる、デッキとかウェアとかTシャツとか、そういうのを、、、まあ、高いから買えないんだけど、見たりしつつ、ホコ天行ってブラブラして、スケボー乗ったりして。あとバンドとかもホコ天でやってたじゃないですか。色んな音楽もあったし、だからそういった部分では楽しかったですよ。

T.B)当時のストーミーはどこにあったんですか?

YACK)表参道にね、キディランドの隣の雑居ビル5階くらいに、めちゃくちゃ狭いお店で、エレベーターで上がって降りると、匂いがもうムンムンなんですよ、、、スケートカルチャーの。それで怖い店員さんが居てね。そういう所に出入りして。あとは古着屋さんが渋谷から原宿の間にチラホラあったから全部行って、、、そうだなぁ、ほぼ全部行ってましたね、店が少なかったら。

T.B)そこから洋服を作るまでどういった経緯があったんですか?

YACK)そうねぇ・・・。20歳くらい時に、相変わらずスケボーやったりギターやったりぶらぶらしてたら、色々と原宿界隈でファッション関係の人と出会ったんですよ。やっぱりスケートボードってそういうなんか、、、横のつながりっていうか、ストリートカルチャーっていう物があるとしたら、スケートボードってそこに凄く、その時リアルタイムで食い込んでた分野だから、当然そういうなんか、、、スケートを通してファッション関係の人と出会ったり、音楽関係の人と出会ったりはありましたね。

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T.B)『DOWN ON THE CORNER』を立ち上げたのはいつ頃に立ち上げたんですか?

YACK)それはね、、、96年なんです。その前に、僕はねNOWHEREというお店で働いてたんですよ。『UNDERCOVER(アンダーカバー)』のジョニオ君と夜遊びしてる時に藤原ヒロシさんとか、その辺の人達と出会って、それでね、ぶらぶらしてるんだったら、今度お店やるから手伝ってよって言われて、最初のNOWHERE(ノーウェア)が出来て、そこで。当時は “NOWHERE ”の方はインポートしかやってなくて、『Beastie Boys(ビースティーボーイズ)』が着てるカレッジのスウェットだとか、ダンガリーシャツとか、ネルシャツだとか、そういう物しか置いてなかったんだけど。ある日突然、 “A BATHING APE “って言うものを作るって言って。最初はこんなの全然売れないんじゃないの?案の定売れないよ~って文句言ってたんですけど(笑)そういうのがあったなぁ・・・。

T.B)凄いですね。“NOWHERE ”を手伝う事になったのは自然な流れだったんですか? 

YACK)なんでお店を手伝うかって言ったら、ジョニオ君と凄い仲良くしてもらってて。毎日家で溜まってたんですよ。結構インドア派でね(笑)みんなで家でファミコンやるとか(笑)家で籠って絵を書いたりとか。ジョニオ君がもうその時、小さいアパートで自分でミシンを踏んで服とかなんでも作るんですよ、目の前で。凄いなぁと思って。ファッションデザイナーって凄いなぁって。そこで初めて、デザインして作って、作ったものを売るっていうのを見せてくれたのはジョニオ君かも知れないな・・・。一番リアリティがあったのは。

T.B)そうですよね。ジョニオさんが目の前で作ってるんですもんね(笑)

YACK)向こうはファッションもちゃんと勉強をして、そういった学校にも行ってて。僕なんかスケボーして、ギターを弾いて、ふらふらしてただけなんで、、、なんて言うのかな、、、なんで出会って、そこで出入りするようになったかって今でも不思議ですよ(笑)だから、向こうも凄いと思うんですよ。俺みたいな訳わからない奴を、毎晩、家溜まって遊ぼうよって誘ってくれて(笑)

T.B)そのジョニオさんの家には他にはどういう方が居たんですか?

YACK) いやもう、、、後に裏原っていうカルチャーを立ち上げた人達はみんな出入りしてましたよ。

TB)そこから手伝う流れになったんですね。じゃあ  “NOWHERE”の立ち上げメンバーという事ですよね?

YACK)そうですね。

T.B)どれくらい働かれてたんですか?

YACK)2年くらいかな。要するに僕は店番なんで、、、お店にいるだけなんで。同じ所で、じっとしてられない性格なんで(笑)店居てもね、ずっとギターを弾いてたりね、ほとんど仕事をしてなくてね。「なんだあの店員は!」ってクレーム出てたんですよね。あの店員は態度悪い!みたいなね(笑)

T.B)でも当時の原宿はそういう店員さん多いですよね?

YACK) だから僕の時代は、さっき言ったストーミーにしろ怖い、とにかく(笑)だから、そんなのが当たり前だったから、でもやっぱりかっこいいし、店員さんは自分に無いものを持ってるから。なんか教えて欲しくて、、、まあ、教えて欲しいというか、盗みたいっていうか、、、感じたくて行ってたんですよね、それは。

–当時僕が見ていた雑誌の向こう側の世界に居たYACKさんの話しに僕はドンドンのめり込んでいった・・・

Photographer:Reika Figuigui

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