PERSON

AFRA_AlwaysFresh_top

AFRA

自分が好きやったらやってたらええ

Guest:Human beat box ”AFRA”

T.B)富士ゼロックスのCMからAFRAさんを見る機会が凄い増えましたもんね。ビートボックサーが増えましたし(笑)

AFRA)増えましたね(笑)田中アフロっていう漫画あるじゃないですか。連載の一発目がビートボックスやってる絵があって、めっちゃ嬉しかったんですよね(笑)で、アフロやし!僕もアフロだったんで(笑)で、、、それが2004年で、ちょうどサッカーのアジアカップか、、、なんかの年でもあって、ちょうど、、、富士ゼロックスが協賛してて、スタジアムにドーンって出るっていうのがあって。僕小学校サッカー部だったんですよ。小学校のツレが「藤岡ぁぁぁぁ出てるでぇぇぇ!!!」ってなって(笑)

T.B)そこはまだAFRAじゃなく藤岡なんですね(笑)

AFRA)そうそう。やっぱ藤岡(笑)AFRAや!言うねん(笑)地元では藤岡(笑)

T.B)面白いですね(笑)じゃあそこからリリースや客演が多くなってくるわけですね。

AFRA)そうですね。それで、活動が増えて日本に帰ってくるんです。で、2004年暮れくらいから東京に来てもう12年目くらいです。

T.B)活動拠点を東京に移したんですね。大阪でやるのと、東京でやるのは違いますか?

AFRA)違うっすね・・・。住んでる時期も環境も、、、自分の見られ方も違ってるんですけど、、、なんだろうなぁ・・・。 大阪は今になって思うのは、たまに帰ってやると、地元だしホンマみんな顔見知りやしみんな和気あいあいと仲良いし、関西人やからライブやってると客が話しかけてくるから、近さはもの凄いんですけど。逆に東京って色んな所から人が来るから。より密度も高いし、盛り上がりも熱いんですよ。でもクールな所もあるし、、、それが凄くかっこいい所なんです。ただ大阪ではビジネスはやりにくい、、、と僕は思いますね。もちろんずっとやってはる人居ますし、会社の数も違うし、メディアの数も違うし。でもここで韻シストを出すのもアレかもですけど、、、HIPHOPの精神として地元愛、HOOD愛を持ってずっとやってて、彼らは彼らのスタンスで全国区になってきてて、、、一概には言えないですね。

―僕は、どうしても聞きたかった質問をぶつけてみた・・・

T.B)今まで長年ヒューマンビートボックスをやっていて、、、ヒューマンビートボックスを辞めて、会社に勤めて安定を、、、って考えた事ありますか?

AFRA)いや、、、それはありますね。音楽はやり続けたいんですけど、僕にも子供が2人居て、まぁ金は必要なんで、辞めないでどうやって続けて、、、どうやって稼いで、どうやって家族を養って行くかって事は、まさに今立たされていることで。それは今一番思いますね。でも辞めれないと思うっすね。辞める辞めないの話しじゃないというか、道歩いてたらやってまうから(笑)でも出会った頃の熱というか、、、うわーーーって練習とも思わず練習しまくってた熱と、、、そりゃ違いますよ、やっぱ。その燃える瞬間はあるんですけど。ずーっとやってきてると今はもう生活の一部になってきて。

T.B)やっぱり苦悩の瞬間ってあるんですね。

AFRA)最初に思ったときは、それこそNYに住んだ後半ですね。CDが決まる前くらいかなぁ。日本人が経営してたカラオケ屋さんのバーでバイトしてる時に、「あっ!あのお兄ちゃん来てる!またビートボックスやってもらお!」みたいな感じで僕もしてたんですけど。で、たまにライブでてギャラ少しもらってる時に「これいつまでやんねやろ。」みたいな。ほんまにずっとバイトしてるな、、、って。でもふと思ったんす。なんか最初にやりたいと思った事でええんちゃうって。気負う事ないやん。食う食わへんじゃなくて、やりたいようにやったらええやん、ビートボックス。自分が好きやったらやってたらええんちゃうみたいな。なんかそれは何回かありますね。そう思っては、、、戻って。今はそんなにないですね。

T.B)やり続けるって大変ですもんね・・・。AFRAさんが今まで一番緊張したステージってありますか?

AFRA)いっぱいあります(笑)いやぁ、、、常に緊張はしてるんで。緊張が緊張を塗り替えていくんすよね。でも、、、それこそRahzel、、、あれは何年だかな。1月1日に、NYでCrazy Legs(クレイジーレッグス)のダンサーのROCK STEADY CREW(ロックステディクルー)のパーティーがあって、そこに僕の知り合いと行こうよってなって。Rahzelがも出るってことを聞いてて。すぐにRahzelがフロアに居て飲んでるんですね。「I am Beatbox!!」とか言って話しかけて、そしたら「ちょっとやってみぃ!」って言われて、耳元でやって。「オーケー!ええんちゃう~」みたいになったんですね(笑)で、ライブが始まりRahzelもやって。そしたら「さっきのジャパニーズビートボックス、ステップアップ!」とか言ってステージ上げてくれて「マジで!呼んでる俺を!」っとか思って。で、上がって行ってマイクを渡してくれて。当時流行っていたGrindin’という曲をやったら、客がドーッンなって(笑)Rahzelも「オーケー!おぉやるやん!!」みたいな(笑)そしたら今度Rahzelが「女の子を喜ばせるネタを持ってるか!?」って言われて「それはない、、、」って言ったら、そしたらRahzelが上手~く持って行くみたいな(笑)そういうステージに呼ばれたのは緊張したっすね。めっちゃ上がったというか。

AFRA_AlwaysFresh_3

T.B)憧れの人の前でやるステージは緊張しますよね。

AFRA)THE ROOTSが日本に来た時、前座やらしてもらったんですけど、Questlove(クエストラブ)が出てこーいみたいになって、一緒にやったときも緊張しましたし。NO NUKES(ノーニュークス)っていう反原発イベントで坂本龍一さんから直接メールきて、一緒にやりたいって言ってくれて。なんかその前に僕が出たイベントがあってそこに見に来てくれてて、それきっかけで一緒にやりたいって言ってくれてて。その後メールが来て是非やりたいって。もう、、、教授っていう(笑)教授坂本龍一じゃないですか、、、目の前になったら坂本さんになるんですよね(笑)坂本さんありがとうございますって(笑)でも、、、坂本さんでいいんかな~って(笑)

T.B)そうですよね。坂本さんっていうのも違和感がありますね(笑)

AFRA)で、一緒にダイバーシティの方の結構でかい所でやったんですけど、坂本龍一さんがピアノ、いとうせいこうさんがラップ、元ちとせさんが歌で、僕がビートボックスだったんですね。リハはあったんですけど、基本即興みたいな感じでやろうってことで。お客さんもパンパンに入って。もう奥も見えないくらいで。それはめっちゃ緊張したっすね(笑)

Photographer:Reika Figuigui

  • Facebookでシェア